深呼吸はルソーで -1-
□白鳥晃という人
私はストーカーじゃない。言っておく。私は、絶対にストーカーではない。
でも時々自分はストーカーの癖があるじゃないかと思わざるを得ない。
図書館司書としての私は、気になるあの人から本を受け取っては、彼の生活の一部を垣間見るような気がしていたから。
彼はあの本をまだ返却に来ない。
私はその人を脳内で「白鳥晃」と呼び捨てにしている。
「名は体を表す」と言われるのは本当だと思う。彼はとても美しい顔立ちをしている。白鳥という苗字がよく似合う。白鳥晃から図書カードを受け取るたびにドギマギしてしまう。目が合うわけでもないのに。
午後12時45分。私は貸し出しカウンターに座る。白鳥晃が借りに来る時刻だというのは大体見当がついていた。そして予想通り、スーツをきっちり着こなした白鳥晃が 足早にカウンターに近づいてくる姿を確認した。
耳上で切り揃えられた艶めく黒髪は、ワックスで自然に毛流れを整えられている。遠目から見てもその顔立ちが平均点以上だということが見て取れた。目、鼻、口は誰もが理想的に置かれたい位置に自然と配置されていて、彼自身が近づいてくるとその一つ一つの形の美しさに目を見張った。
何事にも反応していないかのように、機械的に彼から受け取った一冊の本をスキャンする。彼はその大きな二重の瞳を天井に泳がせながら、両手をスーツの尻ポケットに入れて受け取るまでの時間を一瞬潰す。
「ご返却予定日は12/10です」
「はい」
彼はキュッと口角を上げ、本を手早くビジネスバッグへしまい込んだ。目線も合わさないのはいつもと変わらなかったが、その時の彼はいつもと様子が違った。なんだか内心ひどく焦っているような苛立たしい素振りは、図書館を去る足取りから垣間見れた。
苛立ち。
あの本は確かに苛立ちの元凶かもしれない。
思い過ごしだろうか?
□花井さんという人
自宅に引きこもってる緑みどりに代わって図書館に来たはいいものの、花井さんにこの本を見られたのは心苦しかった。
これを借りる時だけはマスクにサングラスでも装着しようかと馬鹿なことを考えてたけれど、図書カードを出した時点で誰だか分かってしまう。
緑には「お前が図書カードを作れ」と散々言ったけれど、普段本は読まないタチだし面倒だからいいと一蹴された。今回に限り読みたいならAmazonで購入しろと言っても、読み終わった後に家の中にそんな本を残しておきたくないと言って布団に潜りこむ。「私が返しに行くから絶対にあの図書館から借りてきて」の一点張りだった。とんでもなく面倒な女だ。
仕事の合間を縫い、いつもは借りようのないその本を持ってカウンターに近づくと、花井さんの目線が俺に向かれたことに気がついた。
目のやり場に困って本を彼女に渡した後、天井に目線を泳がせる。スキャンしながらパソコンをいじる彼女の手元に視線を移すと、真っ白で小さく、でも細長い彼女の手は本をコトリとテーブルに置いた。そのまま右胸の名札を見つめる。「花井」。名は体を表すのか、彼女らしい苗字だと思っている。
ナチュラルに流された自然な前髪は表情を明るく見せていたし、色味を抑えたブラウンが輪をかけて彼女自身を快活に、でも上品に見せていた。胸まであろう髪は後ろで束ねられていて、横を向くたびに目に入る首元は新雪のように眩い白さで、きっと浴衣が似合うんだろうなとふと思った。
「ご返却予定日は12/10です」
「はい」
彼女の笑顔で発したであろう声を聞きながらも目線を合わすことは出来なかった。多分、俺の笑顔は口元が歪んでいた程度だったんではないだろうか。
やっぱネットで買って緑に渡せば良かった。
彼女の前で借りるにはセンシティブ過ぎる本だ。すぐにビジネスバッグに本をねじ込み、足早にカウンターを後にした。
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