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ホワイトクリスマスの祈り(2)

※全6話
あらすじ:
12月23日、日奈子にとって主任 水木との、最後のランチタイム、のはずだった。 2人が折り重ねていく言葉で綴る、優しい大人の恋物語。

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「君だけが知ってる」

 水木よりも20は若いだろう男性のウエイターが枯らした声で、本日はご予約ありがとうございますと頭を下げると、一通りのコースの説明をして日奈子たちをサラダビュッフェの方へ促した。行きましょうと水木は立ち上がり、
「……玉森さん、さっきの方、声が具合悪そうでしたね。心配ですね」
 ウエイターの遠く離れる背中を見つめながら、水木が耳打ちに近い距離感で言うと、日奈子はその肩まである髪をさっと後ろ手に一括りした。
「さっきの『方』って……水木さんの息子さんでもおかしくない年齢の人ですね」
「ああ、確かに。でも僕の子どもはまだ7歳と5歳です」
 くすりと笑う日奈子が、〈そういう優しく心配されるところ好きです〉と視線を絡める。
日奈子の『好きです』が水木にはいつも好ましかった。大皿を手に色とりどりのサラダを眺めながらさらっと言うのだから。その「好き」の後に息子の話をするのは普通憚られるのだろうが、日奈子から『子どもとサッカーするのが好きっていう水木さんの顔が好き』と言われてから水木は子どもの話をするのがより一層心地よかった。
 日奈子の、水木への告白の日を境に、出来れば毎週お昼を一緒にしてほしいと言われてから、これで何度目だ?と水木はオレンジとフェンネルのサラダと人参のオーブン焼きを皿に移しながら思った。
 まさか、あんなに若い彼女に告白されたなんて会社の人間が知ったら飛び上がるだろう。
 言えない。誰にも。
 気持ちを1度でも口に出そうものなら、その言葉に自分が飲み込まれるだろうという大人の感と、身に降りかかったら最後の、世間でよく聞く言葉で断罪されると水木は重々理解していた。
 今日は午後休を取っているし、明日は有給だからシャンパンでも飲むか、と頭を切り替える。
 ふとブッフェ台の奥の鏡に自分と日奈子が映っているのが目に入った。鏡ごしで目線の合った彼女がびっくりして、俯いてはにかむ。『贅沢者だ』と水木は思い、瑞々しいサラダに向き直った。
 日奈子はオレンジジュース、水木はヴーヴクリコで乾杯をした後、日奈子はラザニアが来るのを待とうとしているのがうかがえた。水木は先に食べるようにと促した。彼女の細かい気遣いに水木は心が機敏に揺れていた。
 揺れ始めたのは、彼女から告白を受けたあの時からなのか、その前からなのか、その境がまったくわからない。
 サラダを味わいながら頼んだペンネに日奈子が口をつける。パンチェッタとトマトがクリームソースに絡んでいる。
「わぁっ、この塩気がいいですこのパンチェッタ」
「そうですか。喜んでくれて良かったです」
「トマト……あげましょうか?」
「僕が嫌いなこと、知ってますよね?」
 知ってますよと日奈子が目を細め、大口を開けてスライストマトを頬張る。
 彼女だけが僕の嫌いな食べ物を知っている。水木にとってはこれまで重ねたランチタイムのときに、どこかで一瞬話しただけの内容だった。でもそれは会社の誰もが知らないことだった。喋る機会などなかっただけだが、これから打ち明ける機会を持とうともさっぱり思わなかった。

#短編 #小説 #8000字のラブストーリー

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