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ホワイトクリスマスの祈り(5)

※全6話
あらすじ:
12月23日、日奈子にとって主任 水木との、最後のランチタイム、のはずだった。 2人が折り重ねていく言葉で綴る、優しい大人の恋物語。

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「クリスマスイブ、あたしのわがまま」

 六本木駅からほど近いイタリアンバルは個室が1つあったけれど、席がブッキングされていて20代程の若い店主に頭を下げられた。
 仕方なく日奈子は12席ある腰高のカウンターのうち1番端に腰掛けてサングリアを注文した。仕事で遅れてくる水木の席を確保するように荷物を置いて、先輩から借り受けていた文庫本を取り出してツリー型の栞を抜き去った。30代の既婚女性の不倫小説で、まだ終わりが見えていない。
 何分経ったか時間を確認するまもなく「玉森さん?」と文庫本の端から水木の顔が覗くと、日奈子はぐっと唇を噛んだ。いい言葉に出会う時、日奈子はいつも口元が緩む。無防備なそれを水木に見られたのだ。
「あっ……おつかれさまです」
「好きなんですね、小説。あ、それなんですか?」
 水木のコートについた粉雪が溶けて消えるのを見ながらサングリアですと消え入る声で言った。
同じ物を頼む水木は今日も酔わないだろうと日奈子は思った。顔にも出ないのはアルコールが回る前に自制するからだ。彼は自分を見失うことがない。
 水木がサングリアを2口ほど口にする間に、1つの皿に2人分の前菜が運ばれきた。スモークサーモンとクリームチーズのタルティーヌを口に含む。サーモンの塩気とチーズの酸味が広がる。
「んまっ」
 水木の第一声にこの店にしてよかったと安堵する。
「美味しいですね」
「はい。ほんと、今日遅れてすみません。玉森さん、今日何時まで大丈夫ですか?」
 時間など気にするわけがない。その一言を飲み込んで、終電までは問題ないですと言うと水木は静かに頷いた。
 やがて置かれた鴨とブロッコリーのスープにしたつづみしながら日奈子は言った。
「なんだかすみません、今日せっかくイブなのに水木さんの大事な時間とっちゃって」 
 水木は2杯目のシャンディーガフを1/4あおると
「僕から誘ったし、問題ないですよ。子どもたちにはちょっと早めですけど今日おもちゃが手渡ったので、僕のサンタからの業務委託は終了です」
「業務委託……」
と、2人で笑った。
「ケーキよりも、おもちゃが大事なようで。僕にとってはクリスマスよりも、自分の誕生日ですけど。また1つ大人になれました」
「水木さんの誕生日っていつですか?」
 日奈子は改めて水木のことを何も、なんにも、知らないんだと思った。

#小説 #短編 #8000字のラブストーリー

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