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7年も経ってしまった

フェイスブックのご丁寧なお知らせで、去年の今日はこんなことを書いていましたね、と教えてくれる機能があるが、そのおかげで私がフランスに移住してきてから昨日で7年きっかり経った、ということを教えてもらえた。私の日々が忙しいわけでは決してないのだが、「記念日」として忘れやすい一日であることは間違いない。これまで7年の間に、この日を迎えて何度、ああ今日で何年か、なんて思ったことが無かった。誰か重要な人物の誕生日でもないので、おめでとうとメッセージを送る必要もないし、プレゼントを買う必要もないので忘れ去られてしまう。

今は、大学生の頃くらい時間がある事情のため、昨日はこの記念日についてよく考えた。7年前、使用言語も違う全くの異国に自分としての全財産を持ち込み、初めての一人暮らしを始めた私。興味関心があり、高校生の頃からフランス文化の何かに常に接していたし、2度も単身旅行に来たため、全くの異国とは私の中では考えていなかったが、やはり身寄りもいないし周りがあれほど心配したことも、今ではよく分かる。あの時は、とにかく絶対自分の力でやってみたかった、成功してみたかった。

一人、パリ8区の高級住宅街の建物の屋根裏部屋を借り、暮らし始めた7年前。生まれてから離れて生活したことがなかった家族と最後の最後まで手を握り合い、涙を流して別れたことは信じられないほど悲しかったし、異国で何があるか分からない、これで最後かもしれないなんて非常に大げさなことを考えたりしたが、異国に着いてしまえばもう進むしかなく、何の恐怖も覚えずとにかく必死で進んだ。頼れるのは自分だけだ、と言い聞かせてゆっくり一つ一つ解決して前に進んだ。今では一目見て理解できるようになった、インターネットの初期手続きの書類なども全くの理解不能で、いちいち全ての語彙を辞書で調べ、片言な日本語訳をつけて慎重に手続きしたことを覚えている。いつまでも、この純粋な努力やひたむきな姿を忘れないようにと、当時のこういった書類は全て取ってある。

ホームシックというものを周りから心配されていたが、何年もの間、それはやって来なかった。2年近く日本に帰ることが出来なくても、それを疑問とも思えずひたすらこちらでの生活に集中していた。若いとはすばらしい。とにかく、学校も仕事もやりこなすのに必死で何も考えていなかった。

あれから3,4年程経ち、異国での生活、生活環境に慣れて来たころ、それはやってきた。歳を重ね30代を迎え、同じように歳を重ねた家族、親族のことが心配になってきて、その想いと共に急に自分の国での家族との暮らしが恋しくなってきた。その頃の私の暮らしといえば、当時付き合って2年少しになる現在のパートナーと、やっとのことで見つけたアパートに一緒に引っ越し、念願の二人での生活を始めて落ち着いてきた頃だった。そして進路が変わり、大学に進学した頃であった。どちらもやっとのことで叶えられた幸せなことであるのに、自分の置かれる環境が落ち着いてきたからか、深呼吸をして様々なことを見つめなおすことが出来るようになってきたのだろうか。日本に帰国するたびに、異常なほど悲しくなり


というここまで書いて、3年前保存してそのままにしていたものを今発見した。

読んでみてなんとも言えない気持ちになったので、3年前に書きたかったことを、今ここに出力することにした。

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