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東京人であり続けるなぎら健壱

東京の郷土を歌うなぎら健壱さん

なぎら健壱をお笑い出身のタレントだと思っている人は多いみたいですね。

なぎら健壱は、れっきとした歌手ですよ。

フォーク歌手。それも澄んだ歌声。ファルセット歌唱。ギターも上手い。
カントリー奏法の達人。

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聴いたことがない人は、ユーチューブとかで探してみてください。

それは、日本のフォークソングがポップス要素に傾倒して、やがてニューミュージックへ変貌していく流れを、頑固なまでに拒絶した、言いかえればカントリーを源流とする本来のフォークソングを守り抜いたのがなぎら健壱なのです。

吉田拓郎じゃない、井上陽水じゃない、中島みゆきじゃない、さだまさしじゃない。

源泉のみなもとをつらぬいているのが、なぎら健壱なのです。

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たぶん頑固で不器用だから、フォークソングを捨てないのでしょう。

たぶん、人がいいから、笑いをとれるタレントとしても活躍しているのでしょう。

たぶん、器用すぎるから写真集を出し、自転車に乗り、バイオリン演歌を歌うのでしょう。

しかもすべてがマイナーで、深掘りする趣味の持ち方は、じつに東京人らしいです。

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東京人は、どうでもいいことに熱中し、狭く深く不自由に暮らす癖があります。

落語なんかは、たぶんそうなんです。

東京の郷土芸能です。

だから寄席通いを楽しむ東京人は、無名であってもひいきの噺家がいて、その話芸を徹底的に楽しむ。

笑点という番組があってもいいけれど、いや、あれは落語じゃないと思いつつ眺めている。

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だからといって、本格的な落語の普及活動なんかしない。

自分が楽しめるんだから、それでいい。

僕がなぎら健壱に共感するのは、その東京人らしい生き方です。

暮らしの流儀みたいなものです。

だって、東京人は、生まれつき東京人ですから。

地方から上京してきて、成功をおさめようと志を立てている人たちと競うつもりなんか、毛頭ないんです。

好きな暮らし方をして、その日のオマンマが食べられれば、その日が暮れてゆく。

明日は、どこを散歩しよう。

酒が飲めるというのなら、その日は上等。

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いつだったか、浅草の酉の市の、僕もひいきの、縁起熊手を売る鳶の女将さんに挨拶していたら、隣になぎら健壱さんが立っていました。

僕の知り合いが監督を務めた、浅草を舞台にしたジオラマ活動写真(つまりは映画。でも浅草で一日しか上映しなかった)の話を交わしました。

「あれ、良いぞぅ」

とだけ高評して、さっさと人混みに紛れて「さよなら」も「またな」も言いませんでした。

その活動写真の主題歌を作詞作曲して、歌っていたのがなぎら健壱だったのです。

※このコラムは、美樹香月の主観で書かれた個人録です。客観的事実だけとは限りませんので、そこのところは、よろしくお願いします。


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