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「私、たくさん自分を褒めてあげようと思ってるんだ」


私はいい子ちゃんだった。

長女という性格もあると思う。弟が複数の障がいを持っていることも私の人生には大きな意味を持っている。できるだけ親の期待に応えたかったし、心配をかけさせたくなかった。でももっと私を見て欲しかった。

できないことが嫌だった。でも負けず嫌いかと言われるとそうでもなくて、「私の中でベスト」なら誰かに負けてしまってもいいと思うような性格。

テストも別に何位でもいい。私が納得するまでちゃんと勉強をして、納得する点数なら。ある程度の点数を目指して勉強した成果がそこにたどり着いていれば、私の中では満点だ。

自分の中で決めたハードルを超えたらOKとする代わりに
超えられなかった時はかなり引きずる。心に大きく残る。


高校生の頃、お小遣いはなかったから、週5の部活をやりながら、早退して週4でバイトした。土日はほぼフルでバイト。高1の秋から高3の夏までファミレスでウェイトレスをし続けた。受験生の夏もバイト尽くし。

でも、英語が本当にできなくて、模試では偏差値41を叩き出した。
嘘でしょ、って思ってバイトの休憩時間や上がってから勉強した。
夏休み明けの模試では50くらいまで上がってた。おお。でもまだ低い。

結局、いろんな事情もあって一般受験は受けず、グループワークと個人面接のAL入試で第1志望に合格した。親に迷惑をかけずに行きたいと決めた大学に進学するための唯一の手段だった。

「受験」という荒波を努力で乗り越えなかったことは、実は今でもコンプレックスだったりしている。あの時一般受験をしていたら、私にはもっと根気が身についたんじゃないか、とか。今さらだけど。


そう言いつつ、少し親のせいにしてしまう、自分が嫌だった。
ちょっとした苛立ちや、誰かのせいにしてしまいたくなった自分の負の感情に嫌気がさす。ロールパンナちゃんみたいな気持ちになる。



やると決めたことをやりきれなかったり
少し考えればわかることなのにミスしたり迷惑かけたり
ちょっとしたいざこざや、苛立ちを覚えたあの日のことはいつまでも鮮明に覚えている。そしてたまに思い出す。

何かの拍子に頭にふっと浮かび上がってきたり、ふとフラッシュバックすると精神が思いっきり削られる。立ち上がれない。腰が重い。心臓がおりてくる。私はダメな子。そんな気持ちになる。

「何がいけなかったんだろう」とかそんなことは考えられない。
ただただ、私はダメな子。そんなこともできないのか。自分で決めたことすらできないのか。そんな感情をもってしまうのか。
ぐるぐる回る。そしてまたその影響で何かができなくなる。


今もそんな感情に苛まれる夜は少なくない。
でも幾分か、いやかなり昔より減った。

「でも、これ頑張ったじゃん」とか「でも、ここでリカバリーすればいいじゃん」と自分で自分を許してあげられるようになった。気持ちをプラスに変換できるようになった。

自信が持てるようになった。きっとこうすればできるはず。
できた先の評価は「誰かに褒められること・認められること」もやっぱり嬉しいし原動力になる。
それと同じくらい自分を認めてあげられるようになったから「次もやってみよう」って思える。


先日、大学のテストで「幕末のリーダーシップ」という題材を解いた。

坂本龍馬は小さい頃は無口でおどおどとし、泣き虫で塾ではトラブルを起こして退学させられ、近所では愚か者と言われていたという。
そんな彼が日本に変革をもたらすリーダーになれたのは剣術を習得し、その実力で一目置かれるようになった過程が龍馬の自信形成に繋がったという。

その後江戸へ行き、勝海舟という自分の想いよりもより壮大なビジョンを持つ師に出会い、時代を動かした。

きっと小さい頃の龍馬は「なんで自分はこんななんだろう」と打ちひしがれてたんじゃないだろうか。ただただ自分に失望していく。わかるよ、龍馬。

でも、剣術で周りから褒められたり、自分でも「頑張ったな」と思える成果を少しずつ掴むことで「自分でも何かを成し遂げることができるんだ」と自分で自分を褒めてあげられたんじゃないだろうか。


「ああ、なんで自分は」と自分を蔑んでしまう、自分を認めてあげられない出来事や期間は人それぞれあるんじゃないかな

でもその分

「よく頑張ったね、自分」とほんの小さなことでもいいから自分のことを認めてあげる時間や回数が増えていく。誰だって成長すればできることは増えていく。


この認めてあげられない=失敗の数を、褒めてあげる数が追い越した時、
人は自分を肯定してあげられるのかもしれない。

"誰か"に認められるより、"自分"が認められた方が、多分きっと満足感は深いのかもしれない。


たくさん嘆いてもいい。
その時間が長くてつらいかもしれない。
でも、もう少ししたら、何か新しいことに挑戦してみたら、今やっていることをもう少しだけ続けてみたら。
「あれ、私もしかして頑張れてるじゃん」って思えると思う。思っていいと思う。

よしよし私。って言い続けてたら、きっと今より自信がつく。

それを何年も何十年も繰り返しながら生きてたら、
きっといつか死ぬ時には
「私、よく生きたなあ」と笑っていられるんじゃないかな。

なんて思うし、どうせなら笑って死にたいからね。

だから、
私はたくさん自分を褒めてあげようと思ってるんだ、っていうお話でした。


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