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アカシックレコードの簡単な使い方

とんでもなくアクセスが難しくて、瞑想を毎日しっかりやったりしないと使えない…って思ってる人が結構たくさんいるんじゃないかな。実際はとても手軽に使える情報源なんだけど。

ふと何かをやりたくなる。
なんとなく通勤路を変えてみる。
いつもと違う飲み物を買う。

そんな些細な瞬間に私達は極々あたりまえにアカシックレコードを使ってる。ホントは仰々しいモノなんかじゃない。「ひらめき」だと意識しない程度の言動にちゃんと宇宙の叡智とやらは内包されている。

あたりまえ過ぎるから気づかないだけ。

たぶんね、アカシックレコードっていう名前に特別な意味を持たせたい人達は「すごい能力をもった人しかアクセスできない謎に満ちた情報源」っていう想像を膨らませて夢を夢のままにしておきたいのだと思う。

あたりまえに誰もが普通に使っているモノだと、ありがたみが激減する感じがするんだろうな。あたりまえに呼吸をして、あたりまえに身体を動かしているときに、酸素や肉体のありがたさを実感しないように。

アカシックレコードにアクセスできれば、全知全能の神のようになんでもわかって、なんでもできるようになる…って訳ではなくて。

だってさ、必ず肉体を経由する。

理解できない言語で、見たことのない機械の使い方を説明されてもさっぱりわからない。3次元の肉体を使って生きている私達がアカシックレコードからの情報を活用するには、人間脳と身体を経由する。だからそれなりの訓練が必須。

その訓練って言うのも仰々しいものではなくて。毎日生きているだけでちゃんとやってる。

赤ちゃんのとき歩けなかったでしょう?厳しい訓練なんて思わずにただただ、つかみ立ちして、何回も転んで、周りに暖かく見守られて、歩き方を体得したよね?

それと同じ。

知らない場所へ行くとき、どうすればいいのか調べるよね?それだって学んだからできること。やりたいことがあれば情報を集めるよね?その集め方も幼い頃は知らなかったでしょう?

なのに勝手にこじらせてる人、多いなって思う。

アレやらなくちゃ、コレやらなくちゃ
アレやっちゃだめ、コレやっちゃだめ

そんな風に要らない既成概念をたくさん抱えて持ち歩いてると「アカシックレコードを普通に使ってるあたりまえの状態」から離れがちになっちゃう。

だからさ、身体や精神がちゃんと病んでくれる。
立ち止まれるように。
要らないモノを手放せるように。

毎日のあたりまえなことを味わって、楽しんで、感謝していれば、アカシックレコードなんて簡単に使いこなせる。

そんなに摩訶不思議なシロモノじゃないよ。

すっごく勉強したり、厳しい修行をしてる人はさ、そうであって欲しくないんだよね。何かとても特別なモノであって欲しい。頑張っている分だけ、苦労していない人よりも優位な場所にいると信じたい。

けどさ、なにもひとりじゃできない赤ちゃんがいちばん上手に使いこなしている…っていうのが紛れもない事実です。

じゃあ虐待されてる赤ちゃんはどうなの?

などとツッコまないでくださいね。彼らも彼らなりにちゃんと使ってはいるのでしょうけれども、ケースバイケースのツッコミを予測して、先回り説明しちゃうと話がまとまらなくなるので割愛。

物が多すぎると扱いきれないように、情報だって多すぎると邪魔になる。アカシックレコードにはなんでもあるから、両極端な情報源があたりまえに混在している。

必要な情報だけを選びとって使うのは個々の自己責任。他人の判断任せにしていると、これからはちょいと厳しい時代になるかもしれません。

「より多く!もっとたくさん!」っていう感覚は何か足りないっていう欠如感から生まれる。もともと誰もが好きなだけアクセスできる情報源の優先権を争う必要なんてない。

他の次元や他の星の法則やコミュニケーション能力って、今必要ですか?まずは地球人同士の健全な交流があたりまえになって、それからでよくないですか?

欲張り爺さんはガラクタしか掘り起こせません。

ここほれワンワンの自分アンテナは自分で磨きましょう。この記事だって要らない人には要らない。以前にもどこかで書いたけど、他人の発信は排泄物。インターネットの世界も図書館も肥溜めなのですよ。自分の畑の土壌を豊かにする養分だけあればよいのです。

最近、絵ばかり描いていたので、久ぶりに言葉がほとばしり出ました。

おやすみなさい。

Grazie 🎶