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1ミリでも好きなことをやった方がいいの話

好きなことをやった方がいい。てな話を飲みながら話していた。
そのとおりなんだけど、自分が好きなことがなんだかわからないと言う。
で、好きなことが見つからないと。

話しながら思ったんだけど、そういうときって、「好きなこと」のハードルを高く設定しちゃっているんじゃないかと。

なんかこう、
一生にわたって打ち込めるものじゃないとけない、とか、
時間を忘れて夢中になるものじゃないといけない、とか、
ちょっと珍しいことじゃないといけない、とか、
そのことに詳しくなって語れないといけない、とか。

そんな無意識な思い込みがあるんじゃないかと。

もしあるとしたら、それは無くてもいいと思うんですよね。
1回やって飽きちゃってもいいし、全然詳しくなくて表面的でもいい。

今1ミリでも気になっていることがあれば、
それはもう好きなことに入れていいと思うんですよね。
で、それをやってみる。

その結果、聞いていた話と全然違って全くつまらないかもしれないし、
ああー、まあー、これはこれでいいかなと思うかもしれない。

例えば自分は今年そば打ちを初めてやってみた。そばは好きだし、毎週末の趣味になったら楽しいかもなと思ったので。そば打ち教室に行き、自分で打ってみたそばを食べたらものすごくおいしかった。人生で1番うまかった。
けど、1回やったら飽きた。というか片付け大変なんだな、そば打ちって。これは毎回やるのは自分は無理だと思った。

この前、ゴルフの打ちっぱなしに行ってみた。飛んだり飛ばなかったりしながらパカパカ打ってたら、まあまあ楽しかった。また行くかもしれない。

「好きなことをやる」は、そういうのでいいと思うんですよね。

些細な気持ちを自覚する

一瞬でも気になったこと、「おっ」と思ったことって、あっという間に流れていくのですぐ忘れてしまう。真面目な人なんかは反射的に「これは大したことじゃないし」って蓋をしてしまう。

おとなになると、既にいろんなこと知ってしまっているし、経験もあるしで、ありふれたことや、どっかで聞いたことはついつい「大したことじゃない」に振り分けてしまいがちなのかなと思う。

でもまあ、1ミリでも気になったことを「私の好きなことグループ」に振り分けて、自分の些細な気持ちを自覚していくことが、物事への興味を生んだり、それを気にする自分を知ることだったり、自分に愛着がわいたり、ひいては自分を大事にすることにつながるんだと思うんですよね。

そうそう、この話は飲んでいるときに「自分を大事にする」という文脈で話していた話だった。

そんな感じです。1ミリでも好きになったことをやろう。

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