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宇治平等院の鳳凰堂(阿弥陀堂)から苦難の現在世界への提言

始めに


私は、数年前の秋頃には、楽曲「AMIDA」の作曲に没頭していました。

その時、私は宇治平等院の雲中供養菩薩さま(Statues of Unchu Kuyo Bosatsu in the Hoo-do Hall of Byodo-in Temple)を想いながら曲作りに精を出していたのです。

これには、私のこれまでの成長過程上の理由があったのでした。

まず第一は、門前町育ちという事がありました。
と言うのは富山県の小さな門前町で育った私は、子供の頃に祖父母世代の方がたが時々声明を聴いて楽しんだりされているのを懐かしく思いだしていたからであります。
しかもそれらがとても懐かしく思われただけでなく、あたかも音楽のように思えたからであります。

更には、信仰心とその心を癒やす音楽とはもはや分離できないもののように思えてきたものでした。
つまり仏教と音楽が一体になることは心を癒やし、信仰心を高めるかのように感じられ始めたのです。

そして最終的には、宇治平等院での拝観体験が決め手であったようにも思います。

つまりこのような考え方は、自然の行き着く先として、私が大人になって拝観した宇治平等院の雲中供養菩薩様に結びつけられてしまったと言うことでした。

結果的には、私には「仏教と音楽」と言えば、
   宇治平等院の雲中供養菩薩様

以外には考えられなくなっていたのかもしれません。

そもそも、雲中供養菩薩様というのは、宇治平等院の阿弥陀堂の壁面に、雲に乗って様々な楽器を演奏したり舞を舞ったりされている菩薩様であります。

Q-180 北25号

雲中供養菩薩様は雲に乗り、様々な楽器を演奏されています。
優美な52躯の雲中供養菩薩様は、     
鉦鼓 (しょうこ)、鈸 (はつ)、拍板 (はくばん)、羯鼓 (かっこ)
鼗 (たお/とう)、揩鼓 (かいこ)/ 摺鼓(すりつづみ)
琵琶 (びわ)、箜篌 (くご)、琴 (きん/こと)、洞簫 (どうしょう)  笙 (しょう)、排簫 (はいしょう)
などの楽器を演奏されているのです。(注1)


また私には、平安時代の前期頃に既に「仏教と音楽」がこんなにも密接に結びついていたことには驚き以外の何物でもありませんでした。

と言うのは、阿弥陀堂では阿弥陀様の像の周囲の壁面には、
沢山の雲中供養菩薩様が雲に乗られ、様々な楽器を奏で、舞を舞っておられる様子が鮮明に表現されていたからであります。


恰も、阿弥陀様を総指揮者とする、あるいは阿弥陀様を崇め奉るための、現代で言う大交響楽団(オーケストラ)とも思える一大布陣がここに窺えたからであります。


SB-1平等院鳳凰堂内ー正面s

阿弥陀如来座像と雲中供養菩薩像
本尊の阿弥陀如来座像は、高さ約2.5m。当時最高の仏師と言われた定朝(じょうちょう)作として確証のある唯一の作品です。それまでの造法とは異なり、薄い材木をつなぎ合わせて仏像を作る寄木造(よせぎづくり)で完成されたもので、平安貴族好みの優雅で親しみのある雰囲気を漂わせています。
阿弥陀如来坐像の周囲には九品来迎図、極楽浄土図とともに、優美な52躯の雲中供養菩薩像が懸けられています。定朝の工房で天喜元年(1053年)に制作されたもので、それぞれ優雅で変化に富んだポーズで楽器を演奏したり、舞を舞ったりする姿が表現されています。


西欧での「宗教と音楽」

一方、西欧では長い間「宗教と音楽」は、車の両輪のようにお互いに切磋琢磨しながら発展をしてきました。
例えば、バッハを始めとする作曲家が多くの宗教音楽を世に出して、現在もそれらが一般人に広く受入れ続けている事でも明らかでしょう。


我が国での「宗教と音楽」

我が国では残念ながら「仏教と音楽」とは、必ずしも結びつきが強くはなく推移してきた感があります。
仏教は仏教、音楽は音楽と言ったやや独立した感じでお互いの間の相乗効果もあまり見られては来なかったようでもあります。

勿論、日本の音楽の一部には、声明や雅楽などでは今でも生き続けていると言っても良いのですが、一般大衆の中で日常的に生きているとは言えない状況のように思われます。



彼我の差:


この彼我の差はどこで広がってしまったのでしようか?

上記で説明した通り:::
平安時代に密接に結びつけられていた「仏教と音楽」の世界(阿弥陀堂)では、
既に現在のオーケストラとも呼べるような(そうです日本で初めてのオーケストラだったとも言えます)一大布陣が見られたのです。

ここで再び西欧の事情に目を向けて見ると、西洋音楽にオーケストラが現れたのはおおよそ18世紀の頃とされています。

それ以前に日本でも「仏教と音楽」が密に繋がっていたのに、どうしてその後にはこの「繋がり」が消えるようになって行ってしまったのでしょうか?

この繋がりを再び強めて、「仏教と音楽」の相乗作用を高めてゆくことは、これからの仏教のためだけでは無く、音楽のためにも、そして人々の心の安寧のためにも大変重要な事だろうと感じています。


宇治平等院鳳凰堂(阿弥陀堂)の魂に学ぶ


宇治平等院は1052年、藤原頼通(ふじわらのよりみち)によって建立されたものであります。

藤原頼通(ふじわらのよりみち)は、当時の末法思想を憂い、しばしば発生した疫病、風水害、地震や富士山爆発等など様々な困難による民の苦難に心を砕いていました。

そこで彼は、民に「極楽浄土」の希望を示すためにこの世に「極楽浄土」を示して人心をまとめ上げようと考えたのかもしれません。


「極楽浄土」を一般民衆にも実際に見えるようにし、釈迦の仏法の目標を誰にでも分かるように、より明確に掲げたとも言えます。


雲中供養菩薩様は、平安の民の為の祈りをメロディ(調べ)として演奏人々を勇気づけ、あるいは鼓舞し、慰めながら人々に寄り添ってこられたのではないでしようか?

割合安定した時代と見られていた平安朝時代の私達のご先祖様は、既に一千年程前に、極楽浄土を夢見てその姿を平等院鳳凰堂(阿弥陀堂)として実際に目に見える形で「極楽浄土」を表現してく下さっていたのです。


そしてそこには、雲に乗った雲中供養菩薩さま(Statues of Unchu Kuyo Bosatsu)がおられたのです。
菩薩さま達は、「阿弥陀様」の周りで、雲の上に乗られて音楽を奏でたり舞をなさったりされていたのです。
正に現在のオーケストラとも言えましよう。


また、当時の「音楽」が極楽浄土に不可欠な存在で有ったことも分かります。



つまりこのように「音楽と仏教」とが密接な連携のもとに運営されていた時代の象徴こそが、平等院鳳凰堂でもあるのです。


そして今、私達は、、、


そして今,
私達は疫病・コロナウィルスや様々な度重なる風水害や異常気象・気象温暖化等など地球規模の災難に活動を阻まれ、目先も見えない状態で苦しんでいます。

現在の私達も、もう一度自分たちの目標を新たにして前へ進んで行きたいものです。

そうです、私達には進むべき道への強い信仰・信念が必要なのです。

今こそ末法思想的なものへの傾斜ではなく、新たな極楽浄土への前進へと舵を切らねばなりません。
それは宗教・哲学・科学などを総動員した知恵であり光となるもので有りましよう。

宗派、流派、分野等などを超えたものに向かって進むべき時機が到来したのではないかと思われます。

今や私達一人一人が先人、藤原頼通の心を理解して前へ進むのです。

子供達のためにも、新たな目標を目指して参りましょう。

私自身も、藤原頼通の志の百万分の一でも良いですから、微力では有りますが、音楽などの分野での努力をして参りたいと思う次第であります。

そして最後に、勿論、

「音楽にはその力があるのです」






参考:::
楽曲「 AMIDA(日本語歌詞) By The First Readings Project – J.David   Moore, conductor」、
https://www.youtube.com/watch?v=PDcicS4Hxn4 

楽曲「AMIDA賛歌(英語歌詞) フロム USA ~ Amitabha, who is in the infinite   universe ~」、
https://www.youtube.com/watch?v=gPv4Ps5_W_Y 

楽曲「合唱曲 久遠の命」、
https://www.youtube.com/watch?v=HzhV06-rS_Y 

楽曲「蓮如想」、
https://www.youtube.com/watch?v=x5n4e1bhEpw 


注釈:
(注1)私家版 楽器事典より
https://saisaibatake.ame-zaiku.com/byodoin_bosatsu/byodoin_temple.html 


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