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No.192 僕の映画ノート(3)中学三年生「俺たちに明日はない」の衝撃

No.192 僕の映画ノート(3)中学三年生「俺たちに明日はない」の衝撃

No.191の続きです)

小学5年生の時から本格的に映画に興味を持ち始め、友人のサダカズくんと、時には他の友人も加わり、故郷福島県いわき市小名浜にあった5軒の映画館は、ちょっぴり大人の世界に足を踏み入れるときめきを抱き、僕たちがこっそりと歩み入る蠱惑に満ちた遊び場の一つとなった。

1960年代当時の街の中心地「本町通り」に軒を連ね、今では信じられないくらいに賑わっていた商店街から一本の路地に入り少し歩いた所、今は数件の店が夜に明かりを灯す一画に2件の映画館、向かって右側に邦画を上映していた「金星座」、左側に主に洋画を上映していた「銀星座」があった。

声を通す小さな穴が円形に並び、その下に現金とチケットをやり取りするに充分なだけの長方形の空間が作られた分厚い透明なプラスチック板の向こうに座る「おばさん」の視線の中に、感情を殺したようにも、軽い非難を含んでいるようにも思えたのは、少し生意気な小学生の僕たちが後ろめたさを持っていた証なのだろうか。

チケット売り場の横の「銀星座」の扉をくぐるたびに、そんな後ろめたさは徐々に消えていったものか、単なる慣れの話だったものか。「マカロニウェスタン」と「スパイアクション」映画に魅せられ、ミュージカル映画や恋愛映画を通し、西洋の女性はみんな美しくグラマーなのだと思い込んでというか、思い込まされたというか。そんな風にして、狭い街の中で広い世界の一端に思いを馳せる日々を送った。

小学4年生の時に映画雑誌「スクリーン」に目を通し始め、その後朝日新聞芸能欄の「映画評」なども読み始めた。それらの「冷静な評論・情報」を咀嚼できる年齢に達していなかったのだろう、「銀星座」の通路に貼られていた次回上映の「映画ポスター」の中の、あるいはスポーツ新聞(実家は「朝日新聞」と「日刊スポーツ新聞」を定期購読していた)最後の方に掲載される横長の「封切り作品宣伝」の「扇情的な言葉(今で言うキャチコピーか)」の方に心が掴まれた。

1968年、僕が14歳中学2年生の時だった。「日刊スポーツ」に載った一本の新作映画の宣伝写真に目がいき、その残像は今なお鮮明に心の内に残る。片手でハンドルを握る帽子の男が不敵な笑みを浮かべ、横に髪を振り乱し笑う女、数発の弾痕、「若い愛にとどめをさした八十七発!」の小さな文字の下に「俺たちに明日はない」の邦題の文字が踊る。瞬時に「あっ、この映画面白いだろうな」との直感が走った。

それから程なく「銀星座」の通路、次回上映のコーナー欄に「俺たちに明日はない」のポスターが貼られていた。当時「銀星座」は通常2本立てだったのだが、同時上映が何だったのか全く記憶に残っていないし、手許にある高校生になってから作り始めた「映画ノート」を見てもうかがい知れない。

「俺たちに明日はない Bonnie and Clyde」を見た時の衝撃は大きく、上映後、通路に貼られていたポスターを隅々まで見て、ウォーレン・ビーティー、フェイ・ダナウェイ、マイケル・J・ポラード、ジーン・ハックマン、エステル・パーソンズ、アーサー・ペン監督の名前を頭の中で何度も繰り返しそらで言える程になってから、既に陽が落ちていた現実の街へ戻った。

数日後に再び「俺たちに明日はない」を観るために「銀星座」に足を運んでいる。切り替え音と共にセピア色の数枚の写真がスライド式に示される冒頭シーンは、これから始まる映像が史実に基づいたものを仄めかす。続いて映る女性の真っ赤な唇のアップからの、フェイ・ダナウェイ演じるボニーの金髪の裸身と苛立ちの表情と仕草・・・。

逃走する車にしがみつく銀行員を車内から射撃するウオーレン・ビーティ扮するクライド。窓ガラスがはじき壊れ、銀行員の口から溢れ出る血痕と転がり落ちる姿は、それまで僕がマカロニウェスタンやスパイ映画の中で見てきた「お芝居の死」と似て異なるものだった。

ボニーとクライドの愛は、それまでの映画で僕が触れてきた「絵の中の美しい愛」ではなかった。言ってみれば犯罪者のしょうもない愛だが、誰でもが陥いうる危ない状況の「リアル」な映像が、多感な時期の僕の琴線に触れたのだった。

バンジョーの音が痛快なカントリー「フォギーマウンテンブレイクダウン」に乗せてユーモラスとも言える映画前半部分の逃走シーンから、中盤に描かれるボニーと彼女の母親及び親族との親交がぼんやりと美しい映像で描かれる場面が転換となり、後半に行くにつれシリアスな逃走劇となっていくアーサー・ペン監督の見事な演出は、ごく短いショットの連続に続くスローモーション映像を駆使して、八十七発の銃弾がボニーとクライドを踊らせ命を絶つ、かの有名なラストシーンで絶頂を迎え、映画の幕を静かにおろす。

1930年代の世界恐慌時代に実在した銀行強盗クライド・バローとその愛人ボニー・パーカーの出会いと逃走を題材に制作された「俺たちに明日はない」は、ハッピーエンディングが暗黙の了解事項だったハリウッド中心のアメリカ映画界に衝撃を与え、刺激を受けた数多くの若き監督・製作者たちが後に続き、この動向は「アメリカンニューシネマ」と呼ばれるようになり「俺たちに明日はない」は、その嚆矢とされる作品との評価を得る。

映画を観てすぐに「今年のキネマ旬報のベストワンは、この映画で決まりだろうな」と中学生の僕は生意気な確信を持ち、事実そうなった。この映画の後で、僕の映画鑑賞は益々熱を帯びていき「キネマ旬報」が愛読書の一つになった。

ジャン・リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーなどのヨーロッパ映画監督を中心に興った「ヌーヴェルヴァーグ」をリアルタイムで味わう時代には合わなかったが、「俺たちに明日はない」から始まる「アメリカンニューシネマ」の数々の傑作映画群「卒業」「イージーライダー」「真夜中のカーボーイ」「バニシングポイント」などを、自分の感性のみで向き合えた若き日々を持てたことの幸運を思う。

両親に好きな映画は何かと尋ねると、母ユウ子は即座に「『女だけの都』『死刑台のエレベーター』、女学校の授業を抜け出して観た『制服の処女』も印象深いねえ」と思い出と共にいくつかの映画の名前を挙げた。父武はちょっと間を置いて「黒沢明の映画はいずれも面白いなあ。『酔いどれ天使』と『七人の侍』が好きかな」と懐かしそうに答えてくれた。

故郷ではなかなか触れることの叶わなかったこれらの旧作を観て、両親と共通の話題を持ちたかった。一方で、古い映画を観て感動を共有できるのかなと思ったりもした。いずれにせよ、これらの名作たちとの出会いに恋い焦がれた。

「銀星座」の扉の向こうの暗がりの中で出会った青春映画「俺たちに明日はない」は、僕の「青春の扉」の一つを確実に開けた。

・・・続く

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