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バイリンガルへの道3

渡米後6週間でお喋りバイリンガル初心者として生まれ変わった私。周囲の人たちの愛情を全身で浴びながら、日々Marlaの子育てを手伝いつつ、英会話の実施訓練をしていました。

親の仕事の都合などで、家族と一緒に海外で生活してきた帰国子女と異なるのは、身近に身内が一人もいないこと。でも、現地で知り合った人々全員が血の繋がらないファミリーとなりました。

そのせいか、地元との密着度が高く、Marieが通う教会から聖書の勉強会に呼ばれたり、Marlaの妹が通う高校から授業に呼ばれたり、Marieの孫が通う小学校で折り紙を教えてくれと呼ばれたり、地元の新聞に記事が掲載されたりと、気がつけば地域の人たちに知られる存在に。

そんな小さい町でも、戦争花嫁のReikoさんや、日系2世のTaroさんなど、親しくしてくれる日本人がいたし、隣町にはその前の年から留学していた日本の女子高校生が2人いて、日本人繋がりで知り合ったりしていました。

この女子高校生2人とスーパーで日本語で話していると、周囲が足を止めてジッと見つめるくらいアジア人は珍しかったです。彼女たちも私も「私たちの日本語の発音、変じゃない?」と言うくらい英語まみれの生活ゆえ、会ったときは意識して日本語で話していました。

言葉を覚えたい人は海外の語学学校に行くことが多いと思うのですが、言葉を覚える近道は母語を使わない環境に身を置くことだと思います。

今ではAI搭載の翻訳アプリがあり、その性能もかなり良くなっているのですが、言葉を覚えたいのであれば、全文を訳してくれる機械よりも、自分で調べた単語を自分の脳内で組み合わせて、それを発話していくのが一番です。

ここでの私の語学学習は、彼らの日常生活にちょこんとお邪魔して、彼らとの会話を通じて日常生活に最低限必要な言葉を覚え、テレビのニュースや雑誌・新聞から時事的な単語を覚えた感じです。

また、Taroさんの日本語は挨拶程度でほとんどできなかったので、日本についての彼の質問に英語で答えたことも、日本の文化を英語で説明する良い訓練になりました。

この経験は、それまで当たり前だと思っていた日本の文化を考えるきっかけとなり、自国の文化をよく知らない自分に気づくこととなりました。インターネットなど無い時代なので、日本の友だちにエアメールで「これについて教えて」と頼んでいましたね。

当時のコロラド南部の田舎町は白人が大多数を占め、次がヒスパニック、黒人はごく僅かでした。アジア人は私を入れて5〜6人だったと思います。

自分が外国人の立場になって思ったことは「日本人でよかった」です。日本にいた頃の私は白人のルックスに憧れがあったのですが、それがコロラドにいるうちに一変しました。

肌の色が違っていても根っこのところはみんな同じ人間だと気づいたことが大きく、人種の違いによる見た目の違いに惑わされない感覚が養われたようです。

アジア人だからと卑屈になる必要もなく、逆にアジア人の良さを声高に強調する必要もない。みんな平等で、みんな対等です。

コロラドでは言葉を覚えただけでなく、こんなふうな人として大切なことにも気づき、他者に愛情を示すことの重要さも学びました。バイリンガルとして生まれ変わったついでに、人としての意識も生まれ変わったのかもしれませんね。

次回はサンタフェのインディアンマーケットに連れて行ってもらったときのお話をします。

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