MikiNote

音楽雑誌&書籍出版社の国際部スタッフ採用がきっかけで、英日の通翻訳業を始めて3…

MikiNote

音楽雑誌&書籍出版社の国際部スタッフ採用がきっかけで、英日の通翻訳業を始めて30余年。元気なオバちゃん翻訳者の徒然なるまま書きっぱなしの無駄話(ときどき役に立つ)。お仕事のご依頼は info@quiem.net でお待ちしています!

最近の記事

デジタル化のおかげ

最近YouTubeよく見ているボイスコミック『兄貴の友達』。作者はなげのまいさんの言葉遣いが楽しくて、ついつい「この空気感を英語で表すとしたら……」と考えてしまいます。 同じ作家さんの『高良くんと天城くん』の英語版を海外サイトで見つけたので、あとで日本語と比較してみようかなと思いつつ、こういう刺激を簡単に得られるのも21世紀のデジタル化のおかげと実感&感謝中。 20代半ばで音楽業界の通翻訳者キャリアをスタートさせた芸歴30年超えゆえ、キャリアをスタートしてからしばらくはア

    • そこはかとなくゲーム的な翻訳会社

      これ、ゲーム翻訳ではなく、翻訳会社の発注・作業・能力評価システムのことです。 昨年の夏から、ある海外の翻訳会社の仕事を引き受けているのですが、ここには特定の案件の翻訳チームの一員として依頼される仕事の他に、Open Projectsという公開案件があります。 この会社の場合、翻訳チームの一員としての依頼もOpen Projectsも、基本的には早い者勝ちのシステム。時差の関係で日本時間の夜遅くから真夜中にかけて新しい案件がアップされるため、気づいたときにはもう他の人が作業

      • スタイルガイドと表記一覧

        年始めにいきなり消滅した長期プロジェクトのおかげで、ここしばらくは、翻訳するときに参照するターゲット言語のスタイルガイドと表記一覧について考えています。 長年、編集者たちと近距離で仕事してきたせいか、表記一覧の存在に疑問を持つことなく、「あって当然」とすら思っていました。しかし、どうして必要なのかを深く考え始めると、いろ〜んなことに気づくようになりました。 雑誌であれ、書籍であれ、同一コンテンツ内での表記はできる限り統一するのが、出版業界の常識だと思います(編集者ではない

        • ドロンした仕事、私ならこうする

          前の投稿で予告した通り、私ならこうする的なことをツラツラと書いてみます。ただ、私は一介の通翻訳者。企画やマーケティングの知識は皆無ですので、ご了承ください。 1) 商品作りの準備 今回はWebサイト上で公開するロマンス小説の翻訳版が商品です。これを作るために必要なのが…… ●翻訳者(原文の翻訳を担当) ●校正者(翻訳された文章の校正を担当) ●SE(日本語アップ時における既存システムの問題解決担当) まずは翻訳者。 翻訳クオリティの基準設定、ワード単価の設定はもちろんのこ

        デジタル化のおかげ

          長期の仕事がいきなりドロン

          本当に驚きました。クライアント側の理由で長期の仕事がいきなり消滅したのです。でも、「まあ、そうなるよな」と納得できることもあったりして……。 ことの経緯と納得できる理由は以下の通り。 この仕事は前回の記事に書いた機械翻訳を使った文芸翻訳。結局、それで提出される文章のクオリティがあまりに低いことから、機械翻訳を基に校正する方法と最初から翻訳する方法を翻訳者に選択させる方式に転換しました。もちろんギャラは違います。 最初の機械翻訳の校正翻訳作業が本当に大変だったので、迷わず

          長期の仕事がいきなりドロン

          〇〇することができる

          先月のメインイベントは文芸ものの機械翻訳の校正翻訳作業でした。14万ワードという膨大な量でしたが、なんとか3週間で納品。まあ、日々の作業時間が14〜15時間と過酷でしたが。 みなさんもご承知の通り、実務翻訳は機械翻訳と相性が良いため、いわゆるMTPEは校正作業がメインになります。そのため、直しの少ない翻訳だと1日に4000~5000ワードはクオリティを維持したままでこなせます。 ところが、文芸ものを機械翻訳にかけると、言葉の揺れ、漢字の開閉、翻訳拒否、前の文章を2度繰り返

          〇〇することができる

          ビジネス英語のアップデート

          出版社の国際部で仕事をしていた7年前と現在では仕事の仕方が大きく変わっていることに突然気づき、数日前から余暇時間にビジネス英語に特化したYouTube動画を見たり、流したりしています。 資料はほぼデジタル、ミーティングはZoomやTeamsが当たり前、議事録だって会議を録音・録画しておいて後でまとめられる時代です。それに対応した言い回しが生まれていてもおかしくないし、実際に生まれています。 私は過去に同じ出版社の国際業務を2度やりました。最初は1980年代後期。海外との連

          ビジネス英語のアップデート

          バイリンガルへの道7(最終回)

          さて、思いつくままに書き連ねてきたこのシリーズ。コロラドから帰国したところで終わりにしようと思っていたのですが、あの時点の私はバイリンガル中級よりちょい上ぐらい。その程度の実力ゆえ、帰国後に英語を使わなくなると会話力が徐々に低下して行きました。 しかし、その程度のレベルでも普通の日本人よりは英語を話せるため、大学を終えてから英語を使う仕事に就くことが叶ったわけです。 最初はオーストラリア初の私立大学の東京準備事務所。まだ生まれたばかりの大学に日本人留学生を送る拠点となる事

          バイリンガルへの道7(最終回)

          バイリンガルへの道6

          特に順番を決めず、思いつくままに書き続けているこのシリーズ。今回はある程度スムーズに会話できるようになってから、周囲の人によくされた質問について書いてみます。 お喋りバイリンガル初心者も、夏頃には無事に中級者に成長しており、町内の日系仲間ReikoさんやTaroさんとも日本語より英語で話すことが多くなっていました。英語と日本語のポジションが見事に入れ替わった感じ。 周囲のファミリーは既に私をアメリカ人と見なしており、お悩み相談されたり愚痴をこぼされたりと、本当に普通の生活

          バイリンガルへの道6

          バイリンガルへの道5

          私が住んでいたコロラドはザ・中西部。子どもの頃に好きで見ていたドラマ『大草原の小さな家』(原題:Little House on the Prairie)に似た風景が広がっています。 特に南部は平原ゆえ、あちこちに大きな牧場があり、カウボーイ、カウガールがたくさんいました。Marie & Duane夫妻が仲良くしていたとある家族も、町の中心部から車で1時間以上離れた草原のど真ん中で巨大な牧場を経営していました。 この牧場には何度もお邪魔して、リアルな牧場生活を垣間見ることが

          バイリンガルへの道5

          バイリンガルへの道4

          8月になると、Marie & Duane夫妻が唐突に「インディアン・マーケットに行こう」と言い出しました。これはニューメキシコ州サンタ・フェで毎年開催されるネイティヴ・アメリカンのアートフェスティバル。 M&D夫妻はネイティブ・アメリカン・アートが大好きで、自宅にたくさんのインディアン・ジュエリーやアート作品を飾ってあり、毎年このマーケットに行っていました。 コロラド南部からサンタ・フェまでは車で6〜7時間かかるので、午前中に自宅を出て、途中で休憩を挟み、夕方にサンタ・フ

          バイリンガルへの道4

          バイリンガルへの道3

          渡米後6週間でお喋りバイリンガル初心者として生まれ変わった私。周囲の人たちの愛情を全身で浴びながら、日々Marlaの子育てを手伝いつつ、英会話の実施訓練をしていました。 親の仕事の都合などで、家族と一緒に海外で生活してきた帰国子女と異なるのは、身近に身内が一人もいないこと。でも、現地で知り合った人々全員が血の繋がらないファミリーとなりました。 そのせいか、地元との密着度が高く、Marieが通う教会から聖書の勉強会に呼ばれたり、Marlaの妹が通う高校から授業に呼ばれたり、

          バイリンガルへの道3

          バイリンガルへの道2

          大学在学中にコロラドの片田舎までペンパルに会いに行った私。きっかけは、中高時代の親友が語学の専門学校を卒業してドイツに就職したことでした。私も海外に行ってみたい、それだけ(笑)。 13歳から文通を続けていたペンパルMarlaは私より一歳下で、彼女は中学校の先生から「やってみないか」と言われて手紙を書いたと言っていました。私は国際文通協会みたいな名称の協会を通して彼女を紹介されました。 私がコロラドに行ったとき、Marlaは専業主婦で2児の母親、旦那のRobbieは水道局勤

          バイリンガルへの道2

          バイリンガルへの道1

          YouTubeを見ていると「〇〇すればあっという間に英語を話せるようになる」的な動画に遭遇します。かつて話題になった「1万時間の法則」を覚えている人なら「それはあり得ない」と思うはず。 それほど簡単に外国語を習得できるなら誰だって苦労しません。翻訳を生業としている私だって、それなりに知識を蓄積した上でバイリンガルになり、今でも学び続けていますから。 昭和の時代に秋田の山奥で生まれ育った私が、突然英語に興味を持ったのは小学校高学年。ある日、ラジオでPaul McCartne

          バイリンガルへの道1

          誤訳の刺激

          編集者から誤訳リストの連絡が入った直後は冷静な頭で考えられないので、少し経ってからちゃんと確認しようと思っていたら、天の助けなのか、一気に忙しくなり、誤訳リストに手が回らない状態が10日ほど続きました。 それこそ、字幕のMTPEなどという時間だけがかかり、実入りの少ない仕事であっても(実際に1日14時間、ほぼ飲み食いせずにぶっ通しで仕事しちゃいましたw)、ネガティブに意識が向かないのが嬉しくて(作業はめちゃ辛かったけど)ありがたかったです。 そして、ドキドキしながら改めて

          誤訳の刺激

          リアル文芸翻訳6

          そう言えば、この書籍を忘れていました! 1年ほど前に発売されたローラ・シェントン著『コージー・パウエル伝 悪魔とダンス』です。 これは出版社の国際部時代の仲良し編集長O君が、フリーになった直後から「一緒に仕事したいね〜」と言い続けてやっと実現した書籍。フリーでいろいろな経験を積んだ彼は、人間性だけでなく、編集者としての腕も爆上がりしていました! これ、内容的にはコージーを知らない若手ライターが過去のインタビュー記事を編纂し、コージーの軌跡を辿るというもの。熱心なコージーフ

          リアル文芸翻訳6