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愛の向こうに何が見えるか。読書感想文

2008年に公開された映画「愛を読むひと」を当時の私は理解できなかった。最近もう一度、観る機会があったのだが、やっぱり理解できない。それでAmazonで原作本をポチッと買って読んだ。そんなお話。

映画「愛を読むひと」

作品の前半がほぼ肌色といっていいほど、ふんだんなベッドシーンに度肝を抜かれる。設定は15歳の少年マイケルと36歳の女性ハンナ。これだけで、ほぉ~ん……と目を細めてしまいそうになる。実際、初めて観たときには目がチカチカした。

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彼らは熱病におかされたみたいに逢瀬を重ねた。そして、その度に少年は本を朗読した。それは「愛の時間」だった。(「愛の時間」をクリックするとMovie Walkerに掲載されたマイケル役のデビット・クロスさんのインタビューに飛びます)

ある日、突如として消えるハンナ。ふたりは第二次世界大戦の際のナチスによる強制収容所関係者を裁くための法廷で再会する。ハンナは被告人として、マイケルは法律を勉強する学生として。

理解できなかったのは「ハンナは自分が文盲であることを終始、隠し続けた」ということ。そして、それを法廷でアピールすれば、かつての愛する人の罪を軽減できるのに、それをしなかったマイケルの考えだ。

小説「朗読者」

小説は3部構成になっていた。第1部は映画と同様、ふたりが逢瀬を重ねるシーンだ。2部は法廷をメインに。3部はその後がメインになっている。映画にするにあたって、かなり大胆に、それはもうカツオ節のごとく、削られていることが分かる。

物語は全編「ぼく」である主人公マイケルの視点から描かれている。彼の情熱や、迷い、苦悩がとてもよく分かる。

でも、やっぱり理解できなかった。なぜ、ハンナは文盲であることを隠さなくてはいけなかったのか。後半では、マイケルが録音した「読み聞かせ」をもとに、ハンナは自ら読み書きを勉強し、習得している。つまり、勉強さえすれば文盲にはならなかったのだ。

最終的に頼ったインターネット

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※画像はダイヤルアップ接続の音のイメージです

ネット上では、この映画について感想を伝えている人が多くいた。そこで初めて「ロマ」という言葉に出会った。「ロマ」とは「ジプシー」のことで、当時はロマであることが分かると迫害を受けていたというのだ。

なぁ~ん!それ早く言ってよぉ!という、名刺データ共有ソフトのCMみたいな台詞が脳裏をかすめた。

「孤独のグルメ」でお馴染みの松重さんの個性が光るナイス!CM

迫害から身を守るため、という可能性が出ると、ハンナの頑なな態度への理解度も深まった。

今でこそ、ネットでサクサク情報収集できるが、一昔前だったら、私はただひたすら理解に苦しむだけだった。大学生だったら、ドイツ文学の先生とかに聞きに行く、という手もあったかもしれないが。

まとめ的なもの

当たり前すぎて考えもしなかったことがある。それは「小説というものは、執筆された国で読まれることを前提としている」ということだ。

何言ってんの?って、キョトーンとなっちゃいますよね……そりゃそうだ。

もちろん、優れた小説などは翻訳される。物語のポイントは残したまま、外国の人たちが理解できる文章表現に直される。でも、やはり、その物語が描かれた根拠、時代背景、風俗など、知らないと理解に苦しむこともあるのだ。

例えば、欧米の小説を日本語で読むとき「土足のまま家にあがって」と書かなくても、だいたいの日本人が「土足のままで家にあがっている欧米の人」をイメージできる。それは、そういうものだと知っているからだ。

もちろん、細かいことを気にせず、楽しめて理解できる小説はたくさんある。映画「愛を読むひと」でも、小説「朗読者」でも、疑問を残さず、感動したりできる人はたくさんいる。

でも、やっぱり、細かいことが気になってしまうのが私。それはもう相棒の杉下右京氏のあのセリフのごとくに、だ。

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