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砂浜に置いてきた。

 私は海に囲まれたある大学にいた。

 親の勧めで選んだ大学だったが、何しろ興味のない分野の道に入っていったので、勉強に身が入らず、目的意識もなくクラスに通うのが酷く苦痛だった。私は決して怠惰な性格であったわけではないと思う。心に生じたわだかまりが、心だけでなく体をも蝕んで支配していた。あの時はひどく病んでいたのだ。

 私は高校を卒業してから働いてお金を貯めたかった。順序は違うかもしれないが、今の自分がどれだけの実力があるのかを見極めたかったのもある。自分と社会のすり合わせをしたかったのかもしれない。もしくは親に管理された生活ではなく、自分の力でも何かできるということを証明したかったのかもしれない。その時の私には自由が十分に与えられているという感覚がなかったのだ。

 自らの望みを捻じ曲げてまで、歩んだ人生には、悲しくもならないくらいぽっかりとした無が心を充満していた。それを癒してくれたのは海だった。

私はよく砂浜に座って水の流れを眺めていた。授業をサボって何をしているんだと、自分でも思うが、どうしても水のそばにいたかったのだ。

透き通った美しい水の色が、打ち寄せては引き、それを繰り返している。その一定のリズムは耳に心地よく、隣の部屋の子達がうるさくて睡眠不足だった私には癒しだった。

ボーッと眺めていると、急に水が牙を向いた気がした。不規則な動きに私は恐れを抱いた。考えてみれば、この波の一歩先には強い流れがあるのだ。透明の水の塊の先の、砂が深くへこんでいるのが目でもわかる。

そうだった。海は強欲で入った全てのものをひきずりこもうとするのだった。そしてお気に入りは海の底へ。いらないものは砂浜へと流れ着くのだ。

打ち寄せる波に飛び込みたいと思った。冷たい水の感触と浮遊感。昔から馴染みの感覚だ。ただ違うのはこれは海で、流れがあり私の思い通りにならないということだ。でも海から目を逸らすのが容易くなかった。

疲れていたのだろう。

私はその日、魂をその砂浜に置いて、肉体だけ人生を歩むことにしたのだった。

あれから10年。
私は魂を回収することが出来た。
私の魂はいつの間にか海を渡ったらしい。


#わたしと海

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