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5月に書いたnoteが、これまでにどれだけ読まれたか、ダッシュボードを開示する

5月に書いたnoteがどれだけ読まれたか、ダッシュボードを見に行ってみた。noteはビューについては不問で、スキの数字だけを評価に使う派なのだが、こうなりました。買ってよかったものを書いてよかった。

先月はnote書いてないんで、1ヶ月のダッシュボードです

人間ドックが健闘している。自分自身の手応えでとしては、人間ドックと津軽のりんごは、書けてよかったと思っている。

「毎日noteを書く」なんて、なんであんな宣言をしてしまったのだろう、と悔やむ。初日からもう思っていた。

それでいて、「公然と宣言してしまうことの強制力」は、人間関係系のストレングスを柱にもつ自分には、ぴったりな方策なのだと感じられる。

マラソンランナーに沿道から声援がとぶように、読んだよ、と言ってもらえること、本当に励みになります。ありがとうございます。

ちなみに全期間のダッシュボードはこれです。

2018年からの全期間ですね

モスのnoteがもうすぐ1000だ。仕事系noteのあいだに咲く、モスと為末さんがかわいい。過去note読んでもらうのもめちゃくちゃうれしいです。


さいきん、毎日noteチャレンジしてるんですよ、と話すと「なぜ、やるんですか?」と訊かれることがある。もっともな質問だ。

だいたいわ「パーソナル編集者という、人のnoteを読む仕事をしているから、自分も書かないとかっこつかなくて」と答えている。

じっさい、自分が書けていないと、書く人の不安さや頑張りを受け止められない気がするし。隗(かい)より始めよ、だ。

それはそうと、この週末は、福岡に出張していた。飛行機は好きな乗り物だが、耳抜きが苦手だ。飛行中に高度が大きく変わるとき、あくびの口を一生やりながら気圧抜きポイントをまぬけな感じで探している乗客がいたら僕です。

今日をふくめ、なんてことのないnoteを書いてみて思うのは、書くことには、こころの中と社会とのあいだで、「気圧」を調整するようなところがある。

書いてることは本当にこまかなこと。それは、こんなこと考えて生きてたんだよ、という報告になっている。ふだん、誰にも話してないようなささやかな気づき。そういうのを文章にする面白さがある。

でも僕だって、ささやかな生活の光景で、どちらを食べたか、みたいな細かい選択が「社会の役に立つ」と思って書いてはいない。でも、自分を理解してもらうための要素としては、いい仕事をするはずだし、本質的だと思う。

つまり、自分の価値観を理解してもらうことができれば、出会いや仕事が始まる際の、ミスマッチが減る。双方の思い込みが、対話の開始を前に解消されることにつながるからだ。

アウトプットしたら、直ちに仕事が増えるわけじゃなく、クライアントの目に留まるきっかけが増えるのと同じくらい、今この人にはやめておくかという判断のきっかけも増えるはず。だけどその分、大きなズレは減るのだろう。精度が上がる、ということだ。

本心をさらけ出して書くことで、耳抜きをするかのように、社会とのズレがしだいに解消され、1mmずつ、生きやすくなっていくはず、と信じている。

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