何を書いても日記にならなくて面白い

今から25年ほど前、高校生の頃にインターネットの日記を書いていました。たしか、3年で500個くらい書いてたから、2日に1本は書いてたことになる。いったい何をそんなに書き残すことがあったのか。

さるさる日記という無料のCGIサービスを使っていたが、今となっては、そのサービスが終了しているので読めません。その後に取り組んだmixiもアカウントを消してしまった。

今も昔も技術も文章の癖もそんなに変わらないが、当時の拙いテキストを読めなくなってることに少しだけホッとする。

この8月は、毎日noteに日記を書こうと宣言して、10日が過ぎた。なんとか途切れずに、書けているが、思っていたのと違うことが1つだけある。それは「日記になっていない」という点。

ここまでに書いてきた、バーのことや、音声配信のことは、たしかにその日のトピックなのだが、ただ出来事を書こうとすると、そこに至るまでの、数年分のでっかい何かが姿を現して、さらっと終わらせてくれない。

自分の中にある「出されたがっている何か」をみとめ、書き始めると「日記」ではなく「3年記」や「5年記」みたいな長いスパンの話になってしまう。面白いのだが、こうなることは想定してなかったんですよね。

えっと、なんでもかんでもモノを溜め込んでいた押し入れを、たまに片付けようとすると、古いフェスのリストバンドとか、映画の半券とか出てきて、片付けるどころでなく思い出が溢れ、ぼーっと時間が溶けることがみなさんにもありますか。私にはあります。

僕が書いている、この8月の「日記」はそういう感じです。そして、自分の中から出されたがっている何かは、書けば書くほど、押入れの奥でキラリと光を放つのです。まだまだいっぱいありそうです。楽しくなってきました。

🍉🍉

それにしても、8月に毎日なにかしらやることがある、というのは10代の夏休みを思い出して、そわそわとした気分になります。

米米CLUBの「Child's days memory」を聴くと、一気に子どもの頃の夏休みの景色が蘇る。

早起きしてラジオ体操に行きスタンプを押してもらい、午前中にそろばん塾に行き、駄菓子屋に立ち寄って何味かわからないジュースを買って飲み、午後は学校のプールで泳ぎ、友だちの家でスーパーファミコンのマリオカートで亀の甲羅をぶつけ合っていたあの頃。

日記だの読書感想文だの、絵画だの、宿題は山盛りだった。案の定、毎日ちょっとずつなんてできるはずなく、溜め込んでしまっていた。まさか40歳になって毎日、テキストを書くようになってるとは想像もしなかったあの頃。

また今日も、今日のことを書けなかった。1ヶ月も続けたら、過去の大ネタというか、行き場のなかった思い出たちは、だいたい一掃されるだろうから、そうしたらようやく日記を書き始められるのかもしれない。

読んでいただきありがとうございます。いただいたサポートはnoteコンテンツの購入にあてさせていただきます。