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人間ドックに行ってきた

いつもよりかなり早起きをした。ふだんは自宅で仕事をしているが、人間ドックの予約が8:45にあるからだ。

昨晩は、残業がややかさんで入眠が遅くなった(昼間に「風来のシレン6」で遊びすぎたせい)にも関わらず、目覚ましアラームより先に目が覚めた。昨夜から絶食していたので、身体が軽かったからだろうか。

さっと着替えて家を出て、乗車しているだけで圧力鍋にかけられているような、ぎんぎんにピークタイムの東京メトロを乗り継いで、赤坂見附までなんとかたどり着く。

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僕には、「健康診断を受けるならここ」と決めている病院がある。人材会社に勤めていたころからなので、もう8年くらい経つだろうか。会社が指定したいくつかあるクリニックのリストにのっていた1つだ。

先輩とランチしているときに、強めにおすすめされたのを覚えている。その病院は、ニューオータニの中にあって、受診後にホテル内の飲食店でつかえるランチ券がもらえるのだ、と。とても魅力的だ。

さらには、「そこはね、全てにおいて手際がよいのよ」と、先輩が力説していたのを覚えている。それを聞いてすぐに僕も申込んだのだが、健康診断も人間ドックも、かつて体験したことのないテンポの良さで、気がついたらすべてが終わっていることに驚いた。

何より院内の導線設計がすばらしく、スタッフの練度もみな高い。今日も、ピタゴラ装置をころがる球のように、血が抜かれ、あらゆる数値を測られ、帰途に着いていた。

ただし、自治体や健保が指定するクリニックで受けるよりは、いくぶんか費用がかさんでしまうものの、受診時のストレスの無さは何物にも代えがたく、くたくたの出張帰りにまあいいかとグリーン車を選んでしまうように、今年も申し込んでしまった。


ところで、待合室のようなところで、その場で居合わせた人たちでじっとテレビを眺めるのが、結構すきだ。あの謎の連帯感は、日常ではなかなか味わえない。

サウナの館内着のように、いかにも患者患者していない、こなれた服に着替え、受付の椅子に座って待っているときに、テレビが映っていた。TBSの「ラヴィット!」で芸人さんがジェットコースターに乗るロケをしていた。

じめじめしていない「ラヴィット!」の軽やかさは、いい意味で日本の湿度を下げていると思う。病院、という不安や心配と隣り合わせになりやすい場所で、悲しみや怒りを煽るような番組が映し出されていないのって、いいなあと味わいながら観た。


40歳をとうに過ぎ、いろいろな経験をしてきたので、採血も怖くない。ちくっとしますよ、の声に身構えつつ、容器3本分の血がぬかれていくのをじっと見つめる。

エコー検査では、横たわり、腹をだし、ぬるぬるを塗られ、器具をおなかにぐっと押し付けられる。自分より若いくらいの男性技師だったのだが、声が優しく、マスク越しにも「いい人」感がつたわってきて安心した。

この検査は、先生が画面を凝視して、こちらをちらりとも見ず、意のままに操られる感じが面白いなあと思う。いつものように「息を吸って」「はい、とめます」「もう少し吸って」「はい、楽にしてください」を何十回かやる。

こういう、感情をはさまずに、たんたんとミッションクリアに向けて息を合わせる感じが、健康診断という場には何個か合って、運動会のようだなと感じる。


まあそんな呑気なことを言っていられるのも、幸いなことに大病をしていないおかげなのである。

同世代が大きな病気をしたという知らせをたまに聞くようになった。それもあって申し込んだ今回の人間ドック。2週間後に自宅へ届く結果を心して待ちたい。

きょうは「一気に息を吐く」をやる呼吸の測定時に、おじいちゃんのようにゲホゲホとむせこんでしまったことを除けば、特にミスはなかったはず。あれは恥ずかしかった。

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