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2018年。子どもが抑圧されず、ありのままで生きるために考えたいことリスト

2017年12月末に「子どもが抑圧されず、ありのままで生きる」ための学びや教育のかたちをとどけるサイトをはじめました。

年末にもある親御さんとお子さんにインタビューをさせていただいたのですが、ほんとおおおに素敵で。まだそのときの興奮冷めやらない。ほ~、こういう時間が、わたしのしあわせ。

またそれは、別途お知らせさせていただくとして。

その前後に、自分ってどんなこと気になってるんだろう、ということをもごもごと考える機会があったので、せっかくなので、来年2018年考えたいことリストとしてまとめておけたらと思います。

自分の思考の可視化という意味もあるのですが、むしろ、「あ!わたしもそういうの興味あるわ~。こういうの知ってるわ~」っていう人いたらぜひ教えてもらえたらうれしいです。

①「子どもが抑圧されず、ありのままで生きる」ことをサポートできる親の特徴とは

最近気づいたのですが、私は教育内容単体(いい教育とは、いい教え方とは)よりも、「家族」という関係性のなかで行われる教育、むしろ教育という営みが行われている「親子関係」というものががすごく気になる。

「週7日120時間」「死ぬほど働く」成功する起業家の条件をVC代表が語るというインタビューのなかで、VCの方が、

僕はなぜか起業を支援するほうに異常にはまったんです。よく例えるんですけど、自分がイチローになりたいんじゃなくて、イチローが使ってるバットを作りたいという。そういうちょっと特殊な性癖があったっていうことで今に至ります。

って言っていたことがあって、なるほど~と思ったのですが、それでいうと、

私は、才能豊かな子どものわくわく感もさることながら、それ以上に、それを後ろで見守り、むしろ子どもが自由にその考えや魅力を発散させている様子をうしろでにこにこ楽しんでいるような、そんな親(大人)を見つけることに、とても快感を覚えるということを発見しました。

つまり「子どもをまるごと、ありのまま、肯定的に受け止めらる親フェチ」なんだな~と。

だから「子どもを抑圧せず、ありのままで生きる」ことをサポートできる親と、その反対の状態像としての「毒親」とか「虐待」をしてしまう親の特徴がすごく気になります。

このお父さん、お母さん素敵だなあと思う方々にインタビューをしてきて、ちょっとずつこれは重要な要素なのでは…?と思い始めているのは、

・親である自分と子どもが「別人格」であることを認識している(こうなってほしいを過度に持ちすぎていない)
・学校の勉強をして、大学に行って、というルートを通らなくても、今の時代ネットなどを活用して、いろんな職業を自分で作り出せると知っている=だから、とにかく学校に行っておきなさい、などを押し付けない

などなど。来年はもっとそこらへんを、クリアにしていけたらいいなあと思ってます。

②すべての子どもが、抑圧されず、ありのままで生きることはできるのか

とはいえ、仕事が忙しくてそこまで子どもとかかわる時間を持てない、という親もいるし、子どもがやりたいといっていることに投資するための経済的余裕がない、という方もいらっしゃると思う。

以前、会社の先輩であるママが、

「うちの子どもが通っている学校では筆箱は透明で四角いものって決まってるんだよね。キャラクターがついている筆箱は禁止。前はボタンをおしたら消しゴムがぴゅっ!てでてくるカッコいい筆箱とかがはやってたけど、ああいうのも全部だめなの」

という話を聞いて、

「ほらほら!!!そんなところまで学校が規制しようとするから!!!いきぐるしいんだよ!!!学校というものは!!!まったくっ!!!」と、なかば憤って、自分の母親に話をしたのだけど。

「うん。わかる。たしかにそうだけど、でもそんな特殊な機能がついた筆箱をみんなが買えるわけじゃないし。そういうのを考えて学校でそういうルールができちゃったんじゃない?」と母。

うーん、たしかになあ。

教育哲学者の苫野一徳さんが「教育の力」のなかで、こんなこと言ってて。

逆説的になるけど、「親子関係」という枠をはずれたところでも、すべての子どもが、抑圧されず、ありのままで生きることを志向していくことが重要だなとあらためて感じました。

そのためにも、

(1)全員が接することのできるの学校教育の質を変えていく
(2)公教育や家庭以外の、サードプレイスを充実させていく

といったことが重要だなあと思うので、来年は気になるところをいろいろ見たり、話をきけたらいいなあとわくわく!している次第です。

(1)学校法人角川ドワンゴ学園N高等学校軽井沢風越学園八ヶ岳サドベリースクールきのくに子どもの村学園
(2)「ハルキャンパス」「探求学舎」「Roots by Branch

③「ありのまま」の多様性って?

そんなこんなで、取材とかをしていると。どうしても、起業だったり、クリエイティビティがあるアーティスティックな子どもなど、華やかで目立つ子どもたちがフォーカスされがちだったりするなあ、と思うことがあり。その子たちはその子たちはめっちゃ魅力的なことは変わらないのだけど、この前、

「私は、既存のルールや常識にしたがわない、ということができるようなクリエイティビティがない」

と悩んでいる子の話を聞きました。(その方に許可を得ずに、勝手にこの話を書いているので申し訳なくありつつ、少しぼやかしてます)でも、私からすると、もはやそこに悩めている時点で、そして周りの声じゃなく、自分のあたまで考えて、悩んでいる時点で、めちゃくちゃかっこいい!!と思いつつ。

でも、たしかに「個性を!!クリエイティビティを!!」という風のなかにいると、不安になるという気持ちは、私もとってもそうなので、すごくわかるなあとおもったんです。

本来は、「ありのままの才能はだれにでもある」というメッセージが浸透し、それを発見サポートするだけの体制がありつつ、それぞれのタレントをうしろでにこにこ、楽しんで見守ってる大人がいる、という世界が、最高だな、と。

それを実現するのは、それぞれの子たちの才能の発見ツールなのか、もしくは表面化、具体化されている才能だけじゃなくて、もっと違うところを大切にする文化の醸成なのか、それとも、もっと違うアプローチなのか。それはまだわからないのだけど。

とにもかくにも!あと2018年まで、20分弱というところでかけこみました。わたしらしい!というか、むしろ来年のはなしなのだから、年越してから書くべきだったのでは、というはなしもあり。

それでは、来年もよろしくお願いいたします。

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