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井の中の蛙は大空の青さを知ったのか

典型的な井の中の蛙だった私

  蝉の鳴き声を聞くとかなり昔の夏期講習での出来事を思い出す。

 当時私は高校3年生。高校でトップであり、数年ぶりの東大合格候補と言われていた。

 センター試験を模した学内試験も文系では総合成績では断トツのトップだった。

 ただし、数学は苦手で、時間内に満点を取れることもあれば、ケアレスミスをしてしまい満点を取れないことも多々あった。

 一方、世界史・国語は得意で、世界史は常に満点。国語もセンター試験を模した選択式の問題だと古文を除きほぼ満点だった。

 私が満点を取るたびに、皆がスキージャンプを模して「またK点超えか」と囃し立てた。

 中学・高校と頭がいいと言われ続けてきた私は、「俺は天才だ~」とうぬぼれていた。

 文系で二位の吉村君。彼も数年ぶりの京大合格候補と言われており、私が吉村君に世界史の暗記方法・センター試験の問題の傾向等を教え、吉村君が私に数学を教えてくれていた。

 もはや高校に吉村君と私に敵う者はおらず、大阪にあった「東大・医学部専門の塾」へと足を向けた。

 高校のレベル的にその塾に入るのは色々難しかったが、色々あり無事に入塾。

多種多彩なメンバーたちとの出会い

 その塾は東大・医学部専門の塾だけあり、有名進学校の生徒が多く入塾していた。

 クラスの半分以上が東大に行き、落ちこぼれが阪大や神大に行く高校、高校一年生までの間に高校三年生までのカリキュラムを終え、高ニ、高三は受験勉強に特化した高校等。

 私服で茶髪OKで見た目はチャラいが勉強は相当できる猛者たち。そこでは、トップは取れなかったが、それでも私は比較的上位の成績で、吉村君もそれなりに頑張っているようだった。

 その塾で挫折し、自分自身が田舎の高校での井の中の蛙だっただなぁとなるような展開にもならず、トップは取れないものの、文系コースでチャラい猛者たちとの競争に明け暮れた夏。

 幽遊白書の戸愚呂のセリフではないが「初めて、全力を出せる敵に会えた」状態の私は、切磋琢磨しながら、東大合格に向け、全力を尽くしていたと思う。

 苦手だった数学も、学友のアドバイスを受け、余程の事がない限りはセンター試験レベルの問題は満点をほぼ取れるようになっていた。

 コツは簡単で、試験時間をフルに使って全問を解こうとするのではなく、試験終了5分前までに全問を解いて、残りの5分でケアレスミスを防ぐという至極単純なもの。

 数学が苦手だった私は、すぐには実施できなかったが、複数の公式を暗記・過去問を暗記。この問題の場合はこの公式・解き方というのを覚え、問題毎に当てはめていくことでなんとか満点を取ることができるようになっていた。

岡田君との出会い

 岡田君という地味な生徒に出会った。出会ったというのは語弊があり、私や吉村君が入塾した際には既にいた生徒であったが、地味であまり目立たなかったため、あまり会話をしたことがなかった。

 チャラいその塾での友人たちと同じ高校ながら、「俺たち見た目は茶髪でチャラいけど勉強できんねんで~」といった人とは一線を画していた雰囲気があった。

 吉村君が「あの岡田っていう奴、数学の試験の時、開始20分くらいで寝てるで、でもいつも満点やしおかしくない」と私に言ってきたのが事の発端。

 確かに数学の試験の際、注意深く岡田君を観察していると岡田君は開始20分くらいで寝ている。しかし常に満点。

 岡田君は答えを知っているのと違うのか、こいつカンニングしてるのではという邪な考えからほとんど話したことのない岡田君に、数学の試験の際いつも寝てるけどなんで満点なんと聞いてみた。

 帰ってきた答えは「この程度の問題なら問題を見た瞬間に答えがふわ~と浮かんでくるからそれを書き写すだけ」。

 衝撃だった。なんとか時間内に問題を解き終え、ケアレスミスを防ぐ事を至上命題としている私や吉村君にとっては最初意味が分からなかった。

 さらによくよく話してみると、その塾で岡田君がトップで私が二位だった世界史が岡田君が一番苦手とする科目とのこと。

努力では超えられない壁

 ドラゴンボールのベジータのセリフではないが「努力では超えられない壁」をマジマジと見せつけられた私と吉村君。

 正直、悔しいとも思わなかった。負け惜しみではなく、レベルが違いすぎて競い合う対象とすら認識できなかった。

そして夏も終わり、秋が過ぎ、冬の受験本番

 私は秋以降、成績が伸び悩み、東大を諦め、別の大学へ。吉村君は浪人し東大へ。岡田君はもちろん東大法学部に一発入学。

 人間、誰しも挫折を経験して大きくなるものだ。それが勉強だったり、駆けっこだったり、恋愛だったり。

 勉強ができなくても足が速い、モテなくても勉強ができる等といくらでも自分への言い訳は都合がつく。

 ただ私にとって唯一の自尊心の賜物だった勉強において、全く敵わない経験を高校三年生の夏にしたことは人生において良かったのだろうと今さらながら思う。

 会社に入り、管理職選抜に漏れた私。今でも仲の良い吉村君に電話で愚痴や相談をした際に、当時の岡田君の話を思い出させてくれた。

 風の便りでは、岡田君は財務省に入省後、退官し、弁護士になっているらしい。テレビ等で同じような経歴を辿った「山口真由」氏を見ると岡田君の事を思い出す。

 努力では超えられない壁を見上げながら、仕事や子育てコツコツやっていくのもまた人生。

 

#2000字のドラマ

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