バスタオル

家にある男を招いたとしよう。彼が土足で玄関を上がってきたら困る。でも常識は文化によって異なる。アメリカ人相手なら、日本文化をやさしく教えてあげれるだろう。でももし彼が日本人だったらどうだろうか。生まれも育ちも日本だったとしたら、、、。

五条祐介は今では大阪にいる。ミナミでホストに就職し、寮生活中である。2DKのマンションに3人住み、お局先輩が一部屋占領してる。エセ韓国系H先輩と祐介は相部屋になった。Hは祐介の先輩だが、たった2ヶ月しか変わらない。それに歳は祐介より3つ下という。Hは初手からタメ口だった。お互い年齢を知ったあとでも、その態度は変わらない。あくまで先輩面したがるHに、プライドが高いのかなと思う。少し違和感はあるものの、あまりこだわらないことにした。
祐介が住んで2週間ほど経ったころ、事件が起きた。

そのお店では入寮時に、最低限の生活用品をくれた。ペラい寝具とバスタオル2枚。洗濯は毎日しないので、バスタオルは使ったら部屋に干す。2〜3回はそのまま使っていた。
その日、祐介は朝から外に出ていた。用事を終えて帰宅した夕方、いつも通り営業前にシャワーを浴びようとした。ところが干しておいたバスタオルがない。もしやと思って探してみたら、Hの服と一緒に洗濯機に放りこんであった。

この家には3人で住んでいるが、お互いあまり干渉しない。洗濯は各自でするため、お局先輩も祐介も脱衣を洗濯機に放置しない。唯一するのがHである。祐介は洗濯する前に毎回困りながら摘み出している。やめてほしいと思っているが、お局先輩は別に気にしてないらしい。まあいいかと我慢していた。

しかし今回は流石に我慢できなかった。貴重なバスタオルを使われた上に、勝手に洗濯機にぶち込まれたのだ。傍若無人で無計画なHに、計画的な生活をめちゃくちゃにされてしまった。その場にHがいたらすぐにブチ切れていただろう。だがもう寮にいなかった。

祐介にはHの行動が信じられなかった。信じられなさ過ぎて色々考えた。『Hはどういうつもりで俺のタオルの使ったんだろうか。今までケンカしたことはない。嫌がらせされるような覚えもない。昨日寝る前、いつも通りの他愛ない話をしてた。あ、もしかして連絡があったのかもしれない』LINEを開くもHから連絡はない。もちろん書き置きも見当たらない。

段々冷静になってきた祐介は、さらにこう思った。『いや、HはLINEで言うことじゃないと思っているのかもしれない。別に大したことじゃないし、店で会ったときに言おうと。相手の立場になって考えられないHのことだからあり得るな。そのときに「使う前にはせめて俺に連絡してくれ、んで使ったあとは干して戻してくれ、じゃないと俺が使えないから」と伝えよう。バカには論理だ。新人の俺が先輩にブチギレるのはよくないしな。それに店には従業員がたくさんいる。しょうがない、向こうが謝るなら今回は許してやろう』

祐介は店に行ってHに挨拶をした。ところが、Hはただ挨拶を返すばかりで何とも言わない。涼しそうな顔で皆んなと談笑している。全く悪びれる様子もない。殺意が湧いた。ブチ切れたいが、周りには先輩たちがたくさんいる。新人の祐介にはアウェイだった。

どうやってブチ切れてやろうかと考えているところに、グループを統括しているお偉いさんのM氏がやって来た。M氏はホストあがりではないが、立場がものすごく高い。若い頃に心理学を研究したらしく、なにやらの資格も持っているそうだ。それを認められて新人教育担当に抜擢されたという。それにM氏は祐介の面接担当者であり、気さくに話せる好人物であった。M氏を裏に呼んで、事件と共に己の感情を伝えた。

心理学者M氏の言い分はこうである。
「わかった、なるほどね。ねえ、祐介聞いて。どう人を動かすかって言うのも、ホストの大事なスキルだよ。別に祐介はHと仲悪くないでしょ、うん。きっとHは悪気なくやったんだよ。でもそれが祐介にとっては嫌なことだった。だったら祐介は、それ嫌だからやめてほしいって自分で言わなきゃいけない。絶対怒って言っちゃダメ。怒っちゃったら冷静に話し合えないから、うん。どんな風に言ったら納得させられるか、一回考えてみな。これはね、祐介が一皮剥けるチャンスなんだよ」

それだけ言うとM氏は立ち去った。祐介は当てが外れてキョトンとしている。Hの非常識さを一緒になって批判してくれると思っていたのに、まるで自分が説教されたみたいだ。
でも祐介には思い当たる節もあった。無意識下の願望をほじくり返されたような感じである。M氏の目を借りて自分を客観視してみた。その男は、いい歳して先生に甘える駄々っ子に見えた。己の未熟さを悟り、恥ずかしくなった。厳しくも、新たな視点を授けてくれたM氏をありがたく思う。そしてM氏の好意に報いるためにも、どう言えばHを説得できるか考えた。

話があるとHを裏に呼んだ。Hにタオルの件を問うと「あっそういえば、タオルなかったらから借りたわー」と悪びれる様子もなく認めた。気にしてもなければ、悪気もないらしい。無断借用に気づいたときはムカついたが、悪意がなかったと知った今ではHを許せた。祐介の態度は落ち着いていたが、その声は少しだけ震えていた。
「俺は昔からかなりの潔癖なんです。兄弟に自分のモノを勝手に使われたりするのが嫌でよく喧嘩しました。Hさんはそういう細かいとこ気にしないかもしれないけど、俺は昔からダメなんです。もしタオルがなくて、どうしても使いたいときは前もって言っておいてください。じゃないと俺の分が無くなって困っちゃうので」
「わかった、ごめんねー。今度から気をつけるわ」とHは素直に受け入れた。

祐介は、困難な壁を自力で乗り越えたような達成感に深く満足している。それに不思議な感覚もある。これまではムカついたら、キレるか、もう関わらないかの2択だった。その2択の結果は喧嘩になるか友達を失うか、大抵は両方だった。

今はどうだろう。冷静に説得することで喧嘩にならずに、自分にとって不愉快な行動をやめさせられた。むしろ本音で話せて、少し仲良くなった気までする。「他人は変えられない」と祐介はよく言われてきたし、そう思い込んでいた。現実はどうやら違ったらしい。現に今、言葉で相手を自分の思い通りに動かせることができた。

祐介の心臓が高鳴っている。
彼は新たな世界の扉を開いた。

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