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【短編小説】嫌いにさせないで ~前編~

私の職場は20代~50代からなる女ばかり40人ほどの事務チーム。
知る限り、みんなオトナで、誰もが表向きこれといったトラブルもなく仲良くやっていた。
私のような退屈に弱い主婦にとっては、お金がもらえるというオマケつきの上等なヒマつぶしの場だった。

その日、若い子がひとりやめた。
もともと人の出入りの激しい職場なので、みな反応は薄かったが、私は比較的仲の良い子だったので、彼女の退職を残念に思っていた。

帰りの通勤電車の中、同僚の雅代さんにそう話した。
雅代さんは一歳年上で、1年入社が早い先輩だ。
駅がとなり(私のほうがひと駅手前)なので、出勤日のシフトや退社時間が合うときはいつも一緒に帰っていた。

雅代さんが言った。
「静ちゃん(今日退職した子)はさ~、誰とでもすっごい楽しそうに話すのよね、大げさに。思わなかった?悪く言えば八方美人ね。もちろん悪い子じゃなかったけどね~」
そうだったんだ、と思いつつ、夫に空気が読めない、と言われたことがあるのを思い出し、私は首を縦に振って雅代さんの意見に、さも、そうですよねーとばかりに同意してみせた。
「みうちゃんもそのうちのひとりだった、ってことなんだろうなぁ。あ、傷つけちゃったらゴメ~ン!」
雅代さんは身体を私のほうに向けて、両手を合わせて詫びた。雅代さんのそういう無邪気なところが私は大好きだ。
「それよりさ、みうちゃん、最近由紀さんと仲良くしてるけど、気を付けた方が良いよ」
「なんか嫌われてますよね、彼女。ちょっと変わってるけど、そんな悪い人かな~」
雅代さんは言葉を使わず首を縦に大きく何度も振った。そのオーバーリアクションにギギュッと感情が凝縮されていて、つい笑ってしまった。
「危険も危険、これはひとつの例だけど」
雅代さんはなぜか周囲を警戒するように声を低くした。

「オフィス用ナースサンダル事件!」
「なんですか?それ」
「小さかったんだって、買ったやつが」
「由紀さんの?」
「そう」
「で、新人で入ってきたばかりの子に値下げして売りつけたの。あげたんじゃなくて」
「あらら、強引すぎますねーそれは」
「でしょ~?入ってきたばかりでさ、あの顔と声で押されたら、いらないなんて言えないじゃな~い。こわいもん」
雅代さんは両手で自分の身体を抱きしめるようにして震えてみせた。
「あげる、だってイヤよね?お返ししないわけにもいかないし」
「めんどくさーですね」
「でね、そのことが原因かどうか分からないけど、その新人さん、それからすぐに辞めちゃったのよ」

毎度ながら雅代さんとの話は尽きず、名残惜しくもバイバイと手を振って私は電車を降りた。降りる直前に雅代さんが言った。
「あんまり深入りすると、みうちゃんも同類に見られちゃうかもよ~。ご用心ね」

帰路、私は由紀さんと初めて遭遇したときのことを思い出していた。そう、あれは遭遇だ。

朝の通勤電車は職場のメンバーでギュウギュウ詰めになる。その人垣の向こうから、まるで睨むような目で私を見ている人がいた。それが由紀さんだった。
入社したての私には、彼女が同じ会社の人なのか、無関係の人なのかも判断がつかずに思わず目をそらした。しばらくしてから見ると、まだ私をジッと見ていた。
今となれば、もともとそういう目なのだと分かるが、その時は黒目が宙に浮いたような個性的すぎる目と無感情な表情にゾッとしたものだ。

入社して半年ほどが経ち、メンバーの顔と名前がようやく一致し、分け隔てなくみんなとコミュニケーションが取れるようになった。もちろん由紀さんとも。

由紀さんはイメージと違って、裁縫が得意だと知った。
ポーチやトートバッグは手作りのものを使っているし、自分で作ったブラウスやスカートを着てきた。
生地の柄やデザインが私の好みではなかったが、正直、感心したものだ。
私は裁縫レベルもできない。ミシンに糸をセットすることさえできないのだ。
そんなこんなでハンドメイドの話で盛り上がるうち、私の持ち物にマリメッコが多いことに気づいた由紀さんは「バッグ作ってあげるよ」と言った。
スマホで一緒に生地を選び(淡いピンクとネイビーのウニッコ)、サイズを決めてお願いした。

バッグは半月ほどでできあがった。
私が選んだピンクとネイビーのマリメッコ生地に、なぜか春っぽいとは言い難い紺のコーデュロイのマチ部分、そして把手はライトブラウンのヨレヨレな合成皮革。組み合わせがてんでバラバラ、ハッキリ言って私のイメージしていたものとはまるで違った。
コーデュロイはホコリが目立つから好きじゃないし、生地の春感ともまったくマッチしていない。ライトブラウンの安っぽい把手もひどい。
手持ちに余っていたパーツを使ったんじゃないかと疑いたくなる一品だ。
しかも彼女はそれをユザワヤの大きなしわくちゃなビニール袋に入れて会社に持ってきたのだ。
人が依頼した品をそんな袋に入れてくること自体、感性を疑ってしまう。
みんながそれを見て笑っているのが分からないのだろうか。

「5,000円でいいよ」

由紀さんのその言葉に私は耳を疑った。
雅代さんが話していたナースサンダル事件を思い出した。
もちろんタダでなどとは考えていなかったが、お礼程度の金額を私は予定していたのだ。生地代は先払いしているし。
最初に金額を取り決めるべきだった。

「バッグを持って帰るのにいるでしょ?」
とゴミでしかないその袋を私のデスクに置いて立ち去った由紀さん。
彼女なりの親切心なのか?それとも単に自分本位なのか?まったく分からない人だ。
まさかそんなボロ袋を持ち歩くわけにもいかないので、当然それは会社で捨てた。
みんながこの人に近づかないほうがいいという理由がわかった気がした。
私は夫のいうとおりやっぱり空気が読めないのだ、と自覚した。
そして、この頃から由紀さんとの関係は拗れはじめた。


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