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蒼色の月 #85 「進学費用②」

高校、大学のダブル受験まであと半年。
悠真も美織も、父親が全く家に帰らない中でも取り敢えず、進学はできるものと思って受験勉強を頑張っている。夫が家にいたころは、悠真はクラスの大半がそうしていたように進学塾に通っていた。しかし夫が出て行ってからは、自らその塾をやめて来た。今我が家にはお金がないとわかっているからだ。
それからの悠真は、自分で自身の時間を管理し、人が変わったように大半の時間を自室で勉強にあてた。

「皆は塾に行けてるのに俺は」

そんな言葉を悠真は吐いたことが一度もない。
そんな悠真にこの上、父親が不倫して進学費用を全部持っていったから進学は諦めろなんて、私は死んでも言えない。絶対に言えない。その進学先を一番に勧めたのは夫なのに。

なんとしてでも、夫に悠真の大学進学の費用を出させなければ。
しかし、家族の通帳にあったお金は、夫が家を出た次の日に全て下ろされ隠された。この頃の私は、とにかく夫が怖かった。夫がおかしくなり始めてから毎日繰返されたパワハラ、モラハラ。無視、罵倒、間接的暴力(壁に穴)言いがかり……ありとあやるゆことをされた。それはそうだ。好きな女が他にできた今、夫は私にいなくなってほしかったのだから。邪魔だったのだから。私の心は常に、次はどんな酷いことをされるのか言われるのかと恐れ。日に日に夫への恐怖が倍増した。この世で一番怖い人間と、その頃の私は本気で思っていた。

でもそんなことは言っていられない。

私は夫にメールをした。

「悠真と美織の進路を決めないといけません。一度子供達と話をしてください。次の日曜日はどうですか?」

しかし、三日待っても返事は来なかった。もう一度送ってみたがやはり返事はない。

進路調査の提出日が近づく。

我が子の大事な受験なのに無視?あの子達がなにか悪いことした?

焦りいらだつ私は、一か八かのメールを夫の携帯に送ったのだった。

「悪意の遺棄はあなたにとって不利なのではないですか?」

悪意の遺棄とは、夫婦には法律上同居・協力・扶養義務があることが記されており、これらの義務に反して正当な理由もなく別居を強行したり、夫婦の共同の生活に協力しない等が見られた場合離婚の原因になるというもの。

少しでも私にお金を払わずして、有利に離婚したいと思っている夫にとって悪意の遺棄と判定されることは後の離婚に不利になるのだ。

この私の一文を脅しと取るか取らないかは夫次第。
そんなことはどうでもいい。
しかしこれが事実である以上それを主張する権利は私にあるのだ。

慌てて「悪意の遺棄」を検索でもしたのであろう。すぐに返事が来た。

「子供達と話し合ってもいいが、お前には会いたくない」

「あなたが来たとき私が家にいないと子供達がおかしく思うので、私はそっと別室に移動しますから来てください」

「わかった」

私の作戦は成功だ。
なんとか日曜に夫を家に呼ぶことができた。あとは子供達に何というかだ。


その日の夕食後、私は努めて明るい声で子供達にこう切り出した。

「あ、そう言えば明後日の日曜日お父さんが家に来るって言ってたよ」

「お母さんお父さんに会ったの?」と美織。

「会ってないけど今日電話があってね。悠真と美織の志望校のこと話したいって言ってたよ」

「……」

子供なりに、家に帰って来ない父親になんと言われるのか不安なのだろう。二人の顔が曇る。そこで私はこう続けた。

「あのね、実はね、最近ちょっと設計事務所の仕事減ってるんだよね。でも進学費用は家族の貯金通帳にしっかり入ってるから、なんにも心配は要らないんだよ」

「うん…」

「だけどお父さん経営者でしょ?仕事減ったことだいぶ気にしてるから、ちょっとケチなこと言うかも知れない。でも本心ではないからね!だからね、特に悠真にはそんなお父さんの言うことあんまり気にしないで、自分の行きたい大学ちゃんとはっきり言って欲しいんだ」

「俺の志望校は変わらない。前にお父さんと決めたところだ」

「うん。ならそれをはっきりとお父さんに伝えてね!遠慮なんかいらないから。お父さんがわかったって言うまでちゃんとね!この機会に話し合っておかないと、次いつお父さんとじっくり話し合えるか分からないから」

「…わかった」

酷く曇った悠真の顔。

「悠真、お父さんと会うの久しぶりだけど、ちゃんと遠慮しないで言えるよね?自分の進路のことなんだから自分で言わないとね!」

「わかった。ちゃんとお父さんの了解がでるまで自分の思ってること言うよ」

「よし!それでよし!」

子供達の脳裏には、夫が最後に我が家に来た大晦日の嫌な思い出が浮かんでいるのだろう。あの夜の夫の奇行が。しかし、今はかわいそうなどと言ってはいられない。受験は半年後なのだから。
悠真にも美織にも、自分の主張をはっきりと言えるそんな人間になってほしいい。

そして私には、夫をこの家に呼ぶことは、子供達と進路について話し合わせることの他に別の目的もあったのだ。姑息な女と思われてもいい。卑怯者と言われたっていい。

子供達の将来を守れるならば今の私はなんだってやる。
大嘘つきにでも、詐欺師にでもなる。




mikotoです。つたない記事を読んでいただきありがとうございます。これからも一生懸命書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!