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蒼色の月 #52 「尾行②」

 私にはもう、頼れる人は誰もいない。
信じていた味方もいなくなった。

しかし、ダブル受験の子供がいるのに、私が泣いている場合じゃない。
落ち込んでいる場合じゃない。

子供達にとって受験は一生に一度の大きな出来事。
ちゃんと全力で向かえるように、整えてやるのが親の勤めで義務だ。

健斗にしてもそうだ。
平凡でも、温かい家庭で、愛情を受けて平安の中で育つ権利が子供にはある。それを守るのが親の勤めだ。

もう一人の親が、その勤めを放棄したのだから私がやらないでどうするんだ。弱い自分じゃもうだめだ。誰かを頼る自分じゃもうだめだ。私が子供達を守らなくては。
いや、守る。

まずは、夫の住んで居る場所を突き止めよう。
誰とどこに住んでいるのか、ちゃんと突き止めよう。
私はそう心に決めた。

私は子供達の帰りを待って、いつも通りに夕食を食べさせた。一通り終わったのが午後7時。

「みんなごめん。お母さんちょっと友達の所に借りたDVD返してきてもいいかな?久しぶりに会うから少しだけおしゃべりしてくるかも」

「友達?いいよ。お母さんここのとこ全然、友達と会ってないもんね。私たちは大丈夫だからゆっくりしてきていいよ」

美織の優しい言葉に、涙が出そうだったが泣かない。

まさか母が、父親を尾行しに行こうとは誰も思ってもいないだろう。
私はカチカチに凍ったアイスバーンの道を、一人事務所に向かって車を走らせた。
いつも夫が事務所を出るのはだいたい7時半。
会社の斜向かいのコンビニの駐車場に、私は目立たぬように車を停める。
3月の初め北海道は、まだまだ真冬で気温は氷点下。
目立たぬようにエンジンを切り、私は車の中でじっと事務所の玄関を見つめた。すぐに吐く息が白くなる。私の息で車のガラスが真っ白に曇るのを私はタオルで拭った。

果たして尾行など、私にうまくできるだろうか。
もちろんやったことなどない。
もし夫に気づかれたらどうなるだろう。
長い間の夫の暴言で、私にとって夫は怖い存在になっていた。
静かな車内、心臓の音がバクバクと大きく感じる。
緊張のあまり寒さを感じる余裕もない。

8時22分、予想よりだいぶ遅くに夫が事務所から出てきた。
夫はすぐに車に乗り込むと走り出す。義父母の家とは真逆の方向に。

探偵もののドラマで観たように、間に一台車を挟んで私は夫の車を追った。
絶対に見失えない。
しかし、5分も尾行した頃、運悪く信号が変わり前の一台と私の車は置いてきぼりにされた。
あまりにもあっけない終わり方。

やっぱり私に尾行なんて無理だ。
それはそうだ。
私はちょっと前まで、ただの主婦だったんだから。

私は車の来ない路肩に停まり、体の力が抜けてしまったように放心状態になった。

どれくらいそうしていただろう。

帰らなきゃ。
あの子達が待っているから。
あんまり遅くなったら心配するから。

私は家へと車を走らせた。

私、どうしてこんなことしてるんだろう。
どんな理由にせよ、こんな夜にこそこそと人を尾行するなんて最低。
私は自分が酷くゲスな人間に成り下がったような気がして涙が出た。

ほんの一年前の私は、家族の家で温かいご飯を作り普通に夫の帰りを待つどこにでもいる主婦だったのに。

涙が溢れた。
だが泣いて良いのは今のうちだけ。
子供達の前では泣けない。
まだ事実を知らないのだから。

家に着くと、窓から温かな光が漏れている。
あそこには私のたからものが3人もいる。
さあ笑顔で帰ろう。
3人のたからものに心配をかけないように。

所在の分からない夫。
今あなたはどこにいますか?
隣にいるのは誰ですか?

mikotoです。つたない記事を読んでいただきありがとうございます。これからも一生懸命書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!