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蒼色の月 #134 「私のミス」

長い間私を悩ませた、長男悠真の進学費用問題。
夫から起こされた離婚調停の場を借りて、私はそれを解決することができた。最良の結果で。
夫の不倫騒動が起きてから、こんなにほっとした日はなかった。
しかし、この出来事が起きたのは、皮肉にもまさにその日のことだった。

もっとも、私がこの出来事を聞かされるのは、それからずいぶん後のことになるのだが。

私は、離婚調停不成立のまさにその日、人生最大のミスをした。


「ただいま」長女美織が帰宅した。
なんだか咳が出て、念のため部活を休んでの早めの帰宅だった。

「お母さん?お母さんいないの?」

そんなこととは知らず、その時私は最後の調停で裁判所にいた。
まさに、夫が進学費用を出すか出さないかの決戦の最中だった。
もちろん裁判所に行くなどとは、子供達には一切話していない。

「お母さん?」

美織は、いつもは家にいるはずの母を探して、リビングから私の寝室へ顔を出す。

「お母さん?」

だが寝室にも母はいなかった。
美織はいつもの引き出しにない、風邪薬が欲しかったのだ。

「なんだお母さん出かけてるのか」

美織は私のベッドに腰を下ろした。
風邪なのか体がだるい気がして、美織は私のベッドにそのまま横になった。
するとその時、枕の下に何かあるのに気が付いた。
それは感触から紙。
美織は枕の下からその紙を引っ張り出した。
それはB4サイズの集計用紙。
ノート2ページ分の横線の入った、大きめの紙が四つ折りに畳んであった。

なに?これ?

美織はベッドに横になりながら、なんとはなしにその紙を開いた。
そこには鉛筆書きで、びっしりと私の字が書いてあって、消しては書き消しては書きした跡があちこちに。

私は、なんてことをしてしまったのだろう。
これほどの失敗は、私の人生の中では他にない。

そこに書いてあったのは、弁護士に勧められて書いた、夫の不倫騒動の詳しい時系列だったのだ。
〇〇〇〇年〇月 夫の態度がおかしく会話がなくなる
同年〇月〇日 夫の不倫疑惑に耐え切れず心療内科受診 全般性不安障害精神安定剤を処方
同年〇月〇日 紺野建設会社紺野社長より夫が不倫していることを聞く
同年〇月〇日 税理士沢田先生より同市クラブドルチェに使う接待交際費のことで注意 ドルチェで夫と美加は会う
同年〇月〇日 夫婦の先輩佐伯氏より夫が保険外交員、上野美加氏と不倫関係にあると連絡
同年〇月〇日 夫に不倫をやめるようにとお願いする一旦は承諾
同年〇月〇日 夫同窓会で外出しそのまま帰宅せず
同年〇月〇日 義父、夫を帰るようにと説得美加に家にはもう帰るなと言われたとのこと
同年〇月〇日 夫離婚届を持って帰宅美加と再婚したいから離婚したいとのこと、暴言
同年〇月〇日 夫、視察旅行と偽って上野美加と東京に二泊の旅行
同年〇月〇日 叔母佐藤冴子より夫に美加を紹介したのは義父建造と聞く
〇〇〇〇年〇月〇日 義母の電話で夫が実家に泊まっていないことが発覚
同年〇月 尾行を重ね夫が保険外交委員の上野美加宅に住んでいることを確認
同年〇月〇日 弁護士事務所に相談 美加宅へ乗り込むように言われる
同年〇月〇日 ICレコーダーを持ち単身美加宅へ行くが会えず
同年〇月〇日 再度美加宅へ嘘をつき逃げられる
同年〇月〇日 再度美加宅へ。義父を交えて皆で話し合うことになる。義父知り合いの市議会議員事務所で義父、夫、美加の母、美加の叔父叔母、美加の姉、私で話をするが一方的に攻められる。
同年〇月〇日 夫子供たちと進学費用の話し合い、夫出すと約束
同年〇月〇日 夫から手紙、進学費用は入学金以外は一切出さないと約束を破る発言
同年〇月〇日 設計事務所近藤氏より夫がベンツを購入したと聞かされる
同年〇月〇日 夫より離婚調停を起こされる、夫は親権は初めから放棄

私はなんてことをしでかしてしまったのか。
調停前日の夜、私はもう一度時系列の確認をと思い、皆が寝静まったころその紙を手にベッドに入った。
翌朝悠真の進学費用が心配で、心ここにあらずの私は、とりあえずその紙を枕の下に隠し、午後そのままにして裁判所に出かけてしまったのだ。
いつもの引き出しには隠さずに。
私は取り返しのつかないことをした。
それを読んだ美織のショックは言うまでもない。

美織、中学3年生、高校受験2か月前のことだった。

しかし、それを読んですべてを知ったことを、それから何年も美織は誰にも言わなかった。
私が子供たちに、全ての真実を打ち明けるその日まで。
私は最低の母親だ。
ずいぶん経ってから、私が全てを打ち明けた日に、美織は笑顔でこう言った。

「話せてよかった。このこと一人で抱えて乗り越えるの結構大変だったんだよね…」

私は一生かけても償えないミスをした。
私は今でも、この出来事を思い出すたび申し訳なくて、苦しくて、悲しくて涙が溢れる。心が痛くてたまらなくなるのだ。



mikotoです。つたない記事を読んでいただきありがとうございます。これからも一生懸命書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!