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蒼色の月 #74 「約束の日」

昨夜は一睡もできなかった。
なんという約束をしてしまったんだろう。不倫女との直接対決。しかも女と夫の住むその家で。
私は不覚にも、女に準備する時間を与えてしまった。今日は、だれか強力な助っ人を女は呼んでいるかもしれない。

そして、そこには私の味方は一人もいない。
そこで戦う?たった一人で?
そんなことが私にできるのか。
いや無理だろう。
しかし、その約束の日がやって来た。
もう逃げられない。
美加が私と会って話すと約束した日。

何も知らない子供たちは、いつもの通りに元気な朝だ。
お弁当を作り、朝食を食べさせ、精一杯3人の子供を送り出した。

身支度を調える手が小刻みに震えた。
最後に私は、充電していたICレコダーを手にした。
準備はできた。

今日こそ私は、夫の不倫相手と直接対決する。そう思うともう私の心臓は苦しくなった。こんなこと私だってしたくない。でもやるしかない。

子供たちを守るにはこれしかない。
私が行動を起こさなければ、夫と美加の思いのままなのだ。
くじけそうな自分にそう言い聞かせ、心を奮い立たせると私は車に乗り込んだ。

昨日と同じに、途中でICレコダーを上着に仕込み私は女の家へと車を走らせた。

女の家が見えるあたりまで来ると、車がない?
え?なんで?どうして?女の家には一台も車がない。私は女宅に車を停めると急いで玄関に向かった。

玄関チャイムが鳴らないことは、知っている。
私は引き戸を強く叩きながら「すみません!すみません!」そう何度も女を呼んだ。
まさか…昨日あんなに約束したのに?嘘でょ…。
私は一人動揺した。

いったいどういうことなのか。女は、女の家族はどこに行ったのか。
私は急いで設計事務所にいる夫に電話をした。

「今上野家に来てるんだけど。誰もいないんだけどどういうこと?どこ行ったの?どうしたっていうの?昨日あんなに約束したのに!」

私のその声は怒りに満ちていた。

「あー逃げたんだろ」

あっさりと夫がそう言った。

「は?逃げた?昨日あんなに約束したのに?大の大人が?今日必ず会って話をするって約束したのに?あり得ない。まさか、まさか、あなたが逃がしたの?」

「さあな、自分たちで逃げたんだろ。俺もお前と美加が直接話されると、いろいろと困ることもあるしな」

「逃げたって!どこに逃げたのよ!家わかってるんだから逃げたって無駄でしょ?どこに逃がしたの?」

「知らないよ。しばらく帰ってこないんじゃないか?」

「あんなに約束したのにそんなふざけたこと!」

電話は切れた。

「うちの美加は人様に、うそなんかついたことがない」

昨日のあの母親の言葉を思い出す。

嘘つきじゃない。家族揃って嘘つきじゃない。あんなに何度も約束しておいて逃げるなんて。
今日逃げたって、また私が来るとは思わないのだろうか。
私は昼でも夜でも夜中でも、来ようと思えばいつでも来れるのだ。
一生逃げ続けることなんて、できるはずもないのに。
なんて浅はかな行動。私の胸は怒りでいっぱい。

二人に直接話されては困ることがある。
夫は私と美加各々に、自分に都合のいい嘘をついているから、二人で直接話されると困るのだろう。
だから逃がした。
卑劣な男。
卑怯な人たち。

そして
そして
なによりも
なんてなんて、間抜けな私。

あの人たちが、約束を破って逃げるなんてこれっぽっちも想像できなかった。一かけらも疑わなかった。会えるものと信じ込んでいた。

なんてなんて、おめでたい私。
愚かな私。

普通の日々が、ほんの一年前なのにもうずいぶんと昔にしか思えないほど今の私たちは別人に成り下がってしまった。

いったいどこまで、墜ちていかなければならないのか。


ダブル受験まで後9か月。



mikotoです。つたない記事を読んでいただきありがとうございます。これからも一生懸命書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!