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紡ぐ言葉が見つからない

 そんなに気負うことなく書いているこのコラムですが、もう何週間も、書くことがないというか、言葉に詰まったままになっています。誰かとおしゃべりをするのは好きなのですが、自分から発するようなことがない。つまり自分で紡ぐ言葉が見つからない状態なのです。
 
 日々何も感じていないわけではないのですが、わざわざ言うほど(書くほど)のことでもないかなあと思ってしまいます。昔ほど、色々なことで心が動かなくなったのかもしれません。
 
 あるいは視野を狭くして、考えることを限定して、余計なことを言わないようにして、楽に生きていこうとしているのかもしれません。うんと若い頃、視野の広い人になりたいと願い、色々なところに旅をしたり、いろいろな人の立場で考えるように努力したら、自分が何をすればいいかわからなくなって、身動きが取れなくなりました。その反対が今で、視野を狭くして、日々現実的に働いているのかな、と思い至りました。
 
 先日、たまたまですが、イスラエルによるパレスチナへの攻撃でひどく心を痛め、心身にダメージを受けながらも、パレスチナの人々を助けようと活動している日本人女性の発言を目にしました。そうだよね、本気で受け止めて考えたら、本当に傷つくよね、と思いました。安心して眠る場所もなく逃げ惑う人がいる、そのときに、自分は安全な場所で美味しいものを食べ、家族や友達と笑い合っていていいのか。考え始めたら、当たり前と思っていた平和な日常を過ごせなくなります。

 しかも、世界を見渡せば、争いはイスラエル・パレスチナ問題だけではなく、ウクライナとロシアの戦争も終わらないし、中国のウイグル人自治区の問題もあり、基本的な人権が守られない中で暮らしている人たちはたくさんいます。
 
 自分の身近なところを見ても、貧困に苦しんでいる人、病気に苦しんでいる人、心を病んで死にたい気持ちを抱えながら生きている人、いじめや差別と闘いながら生きている人、あげたらキリがないくらい、苦しみを抱えている人はたくさんいます。そういうことひとつひとつに、心を寄せ続けたら、私は笑えなくなります。すべての課題に取り組むことも、もちろん出来ません。

 だから、見すぎない、考えすぎないようにして、目の届く範囲のことを考え、現実的にできることをして、日々を生きていく。つまりは、笑顔で自分の子どもに接し、出来るだけ美味しいごはんを作り、落ち着いた心でクライアントに会い、大学では元気に授業をするように務める、ということ。

 なんの力もないし、わざわざ声を大にして言いたいこともないけれど、私は私と出会ってくれた人たちの、平穏と無事を、日々祈っているし、そのために自分にできることをしたいと願っていて、それが今の私の心のなかにあることだ、とやっと言葉にすることが出来ました。
                 (M.C)

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