みこと心理臨床処

2021年5月開業。臨床心理士&公認心理師によるカウンセリングルーム(三軒茶屋…

みこと心理臨床処

2021年5月開業。臨床心理士&公認心理師によるカウンセリングルーム(三軒茶屋)。カウンセリング・WAIS-Ⅳを行っています。詳細は、下記、HPまで。 こちらでは不定期でコラムを発行します。 HP:https://mikoto-kokoro.com

マガジン

  • 心たちのすることは

    心理職による連載コラム第3弾。 更新は毎週月曜日です。 私たちは、どうやって自分の心と向き合い、付き合いながら、生きているか。 理屈では動いてくれない私達の「心」がしていることについて、考えることが今年の私達のテーマです。

  • つれづれコラム

    みこと心理臨床処のスタッフによる、つれづれコラム。気が向いたときにだけ、心に移りゆくよしなしごとを書き綴ります。ほぼ、ひとりごと。

  • 拝啓、みこと心理臨床処 様

    2023年から始まったみことスタッフ3名によるリレー方式の往復書簡コラムです。 みこと心理臨床処の雰囲気を、皆様に、感じてもらえたらと思います。

  • 家族だって他人

    臨床心理士&公認心理師3名によるリレー形式の連載コラムです。 家族って何だろう? 家族に傷つき、家族に癒され、家族に振り回され、それでもなぜか期待し、求めてしまう。誰でも一度は家族の一員であり、家族について考えてしまう人もそうでない人にも贈る、心理学の視点で書かれたコラムです。

最近の記事

紡ぐ言葉が見つからない

 そんなに気負うことなく書いているこのコラムですが、もう何週間も、書くことがないというか、言葉に詰まったままになっています。誰かとおしゃべりをするのは好きなのですが、自分から発するようなことがない。つまり自分で紡ぐ言葉が見つからない状態なのです。  日々何も感じていないわけではないのですが、わざわざ言うほど(書くほど)のことでもないかなあと思ってしまいます。昔ほど、色々なことで心が動かなくなったのかもしれません。  あるいは視野を狭くして、考えることを限定して、余計

    • 心・技・体というからには

      春。 過ごしやすい暖かな日差しに、舞い散る桜。新学期も始まって何かと明るい感じがする日々。  の、はずなのだが、どうにも体調が悪いのである。花粉もまだ何となく飛んでいるし、朝夕の寒暖差もあり、天気も何やら変わりやすいし。いつもより眠気が強く、胃はもたれやすく、疲れているなぁと感じる。  それに何より、なんか身体の調子が悪くてすっきりしないと、気持ち的にもすっきりしないで、鬱々としてしまう。心と体はつながっているとはよく言ったものだなぁと、毎度のように思ってしまうが、どう

      • 環境を整える

         三寒四温を経て桜が満開を迎え、やっと春と言えるだろうか。  2024年春の今現在、わたしのなかで、みこと心理臨床処三茶庵緑化計画が進行中である(プロジェクトリーダー・わたし、プロジェクトメンバー・わたし。)  手始めに、出先で見つけたお手頃のネモフィラ・インシグニスブルーを買ってきて、大きめの鉢に植え替えた。実はこのネモフィラ、種から蒔いて育てようとしたが大変難しく、発芽はしたけれど大きく育ちはしなかった。  これはやはり、いつも目の届く範囲に置いておかなかったからで

        • 安心と安全が謳われる社会で

           カウンセリングを行うときに、まず私たちが一番大事にしていることは、クライエントさんの安心と安全な場をカウンセリングの中で提供することです。自分を出しても大丈夫、何を言っても安全であるという感覚無しでは、私たちの心は自由に表現したり考えたり出来ないですから。  何より、傷ついたこころを休めるにもそれ以上に傷つけないためにも、安心で安全な場は必要です。  しかし、「安心」っていったい何だろう? と思いませんか? カウンセリングで言うところの「安心」は、心理的な安心です。そし

        紡ぐ言葉が見つからない

        マガジン

        • 心たちのすることは
          15本
        • つれづれコラム
          14本
        • 拝啓、みこと心理臨床処 様
          48本
        • 家族だって他人
          50本

        記事

          揺れ惑う

          悩んでいる人、というのは何かと何かの“あいだ”で常に揺れ動いている状態なのではないかと最近よく思う。たとえば今わたしの目の前に、牛乳パックがある。これは今日のお昼から三茶庵というみことのオフィスで籠って書き物をする自分のために買ったものだ。500mlだし、紅茶に入れて飲み切ってしまえると思っていた。が、なんということか、結局飲み切らずに半分ほど残ってしまった。未開封であれば持ち帰って飲めるし、残った量がたとえば1/3くらいなら飲み切ってしまおうと思っただろう。しかし半分となる

          心たちのすること、というテーマでコラムを書くなら、外せない話題だと思う、「恋」。果敢にも今夜は「恋」をテーマに、コラムに挑んでみようかと思う。 まずは、その輪郭を探ってみよう。辞書的な定義では、「特定の異性に強く惹ひかれ,会いたい,ひとりじめにしたい,一緒になりたいと思う気持ち」「切ないまでに深く思いを寄せること」などとなっている。 恋はどうやら「落ちる」ものでありながら、それが終わるときは登ったり、這い上がってきたりするものではなく、「冷める」ものらしい。 恋をして

          「またね!」の呪文

           卒業シーズンである。 今は昔、竹取の翁というものありけり。 といきなり言い出すほど昔ではないが、自分が学生の頃は、携帯などまだあまり持ってない時代だったので、卒業するということイコール、仲が良かった友達と連絡が取りにくくなり、なかなか会えなくなる、ということが結構あった。  そんな卒業時に交わされる「また会おうね」という言葉には、やや強い意志を感じさせるものがあり、逆にもっと、簡単に会えなくなってしまうのだなぁという寂しさを感じたものである。  しかしある時、皆で会

          「またね!」の呪文

          決める心と書いて決心

           ゲームで定番の、H P /M Pという用語がある。H Pは多くはヒットポイントと呼ばれ、物理攻撃を受けると減る。M Pは魔法が使える設定のゲームではお馴染みの言葉で、マジックポイントと呼ばれることが多く、自分が魔法を使うと減る。魔法のない現実世界ではどちらも実際には存在しないし見当たらないものだが、私などは体力を消耗した時にはH Pが減っていると思うし、M Pをいわゆる気力ややる気、精神的体力に当てはめる時もある。 つまり、M Pが減った状態=精神的体力が弱っている状態とい

          決める心と書いて決心

          子ども理解の要、知能検査WISC-V始めました

          ホームページやS N Sでもお知らせしていますが、みこと心理臨床処では、児童向け知能検査W I S C−Ⅴによる心理アセスメントを始めることとなりました。 ウェクスラーシリーズの検査は日本では全国的に支援の要として利用されてきた歴史があります。その最新版は前のバージョンW I S C−Ⅳからさらに洗練されて、子どもの認知発達をより多角的に見ることができるようになりました。お子さんからどのように世界が見えているのか、その一端を知ることができるのがこのW I S C−Ⅴを含めた

          子ども理解の要、知能検査WISC-V始めました

          転がる心

          とは有名な徒然草の書き出しだが、自分の日常には「徒然なるまま」な時間が殆どないことに、このたび気づいてしまった(苦笑) 隙間ができると、すぐに次のことを始めてしまうし、なにかの作業中にさえもスマホで音楽やポッドキャストの番組を流してしまい、「心に移りゆくよしなし事」と向き合う時間を殆ど取らないほど、情報の海に浸かって生きている。 そして気がつけば、音楽に聞き入ったり、ポッドキャストのトークに笑っていたりして、自分の思考は中断することがしょっちゅうである。一言で言えば、集中力

          WISC-Ⅴ始めました

          待ってました! というあなたにも、WISC-Ⅴってなに?というあなたにも、少しお話させてください。 WISC-Ⅴとは、ウェクスラー式の子ども向け知能検査のことで、5歳から16歳の子どもの知能を測ることが出来る検査です。 これまでみこと心理臨床処では、成人向けの知能検査であるWAIS-Ⅳしか取り扱いがなかったのですが、この度子ども向けの検査であるWISC‐Ⅴを導入しました。しかも最新版のⅤ。 WISC-Ⅴはどんなときに使うのかというと、子どもの認知特性を知りたいときに、

          WISC-Ⅴ始めました

          眠れない朝にサヨナラ

           夜になったら眠る。眠くなったら眠る。このように、非常にシンプルに眠れれば楽なことこの上無いと思うのですが、眠るというのは、簡単なようで難しいこともあり、なかなか厄介な代物です。 身体や脳を休めるために「眠り」というものはあり、それなら疲れれば眠れるはずなのですが、疲れすぎるとこれまた、眠れないこともあるという難しさ。 人は眠らないと生きていけない訳ですが、気が立っていたり、考え事が頭から離れなかったり、次の日の楽しみに心が躍っていたり、気持ちが沈んでいたりと、心の中がざわざ

          眠れない朝にサヨナラ

          心の宿るところ

          先日、今年度の大学での講義が全て終わった。私の講義は自分で言うのも何だがそこそこ特殊で、学生たちに正解を与えない。正解と正解のぶつかり合いがこの世界を構成している、と担当講師(つまり私)が考えているからだ。 人の心に万人共通の法則や正解があるのなら心理学などいらない。よってノーベル文学賞はあってもノーベル心理学賞は絶対にないと私は思っている。葛藤こそが人生であり、心ではないだろうか。 という講師の暴論のもと、毎度毎度、正解のない問いに挑まされた学生たちは少々気の毒ではある

          こころと私と、私のこころ

          例えば、カウンセリング室での一幕として、こんなやりとりがあります。 クライアントのAさんが、「これこれ、こういうことがあって、その時、自分はこう思っている、ということに気がついたんです。」と嬉しそうにおっしゃるので、私も一緒に嬉しくなって「それは新しい発見ですね」と返します。するとAさんは、さらに自分の感じ方や、考え方について、話し続け、新たな自分を発見していきました。 また、クライアントのBさんは、未来の選択肢の◯◯か☓☓のどちらを選ぼうかと悩んでいて、「条件を整理

          こころと私と、私のこころ

          心は裏腹なんて言わないで

          と 歌ったのは竹内まりやですが、これって本当なのでしょうか。まあ、そういうときもあるよね、とは思うのですが、いつもってことはないでしょう、というのがまずひとつ。それから、言葉と裏腹なのは女心だけなのか、というのがふたつめの疑義です。男心は裏腹じゃなくて、いつも直球なのだろうか? だとしたら男という生き物はあまりにも単純すぎないですか? おっと、別に歌詞に文句をつけたいわけではないのです。この歌の詞のように、女心はいつも言葉と裏腹、つまり女性は本音を言わないものだ、という価

          心は裏腹なんて言わないで

          心は口ほどにものを言うか

          心というのは面白いもので、姿かたちは見えないのにあると分かる。不思議なものですね。その心をどうにかして見ようとすると、それは他の媒体を使って表す(表される)ことになります。 一つは、よく心と対になるものとして言われる「身体」です。身体の感覚や顔の表情などを通して、私たちは心を表層化します。しかし、それも案外単純にはいかず、涙が出て泣いていれば必ずしも「悲しい」ばかりではありません。悔しくても涙が出るし、嬉しくても涙が出ることがある。胸が締め付けられるように「苦しい」場合でも、

          心は口ほどにものを言うか