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つらくても楽をしたい

駅構内にある1台だけのATMが苦手だ。

操作をしているとき、後ろに並ぶ人たちからの
「いそぎたまえ。急用でないなら端末をわたしたまえ」という念を感じて緊張する。プレッシャーから手汗が川の流れのようにとめどないことになるのだ。


ATMは動作がもっさりだ。画面をさわってから、数字が表示されるまで時差がある。早くおわらせるため、画面を高速タップしてしまうと思いがけない数字の羅列が誕生してしまう。ここで焦って「始めに戻る」とかそれ以外のボタンにふれると
「もう一度最初からやりなおしてくれないか?」
というような表示に切り替わり、ファミコンの画質のような銀行員にお辞儀をされたあと振り出しへもどされる。


こちらのリズムにのってくれない端末と、端末に合わせてビートを刻めない私のせいで、もたもた時間を費やしてしまう。


長蛇の列ができていたらどうしよう。
一刻も早く金銭のやりとりをしたい群衆に背中をサクッとされやしないか。
妄想が先走ってすでに背中が痛いような気さえしてくる。


怖くて振り向けない。


こんな時、背中側にも顔があったらいいのにと思う。あと真剣白刃取りをするための腕も必要だ。脳裏に3つの顔と6つの腕をもつという阿修羅像が浮かぶ。

阿修羅こそ私の理想の姿かもしれない。

阿修羅になりたいほど思いつめてしまうなら、ATMがたくさんあるところへ行けばいいのにと思うだろう。通勤経路にあるATMは駅ナカが1番近い。面倒くさがりなので、移動距離を伸ばしたくない。つまり駅構内一択だ。


ならば、インターネットバンキングにしたらいいのにと思うだろう。心配性なので不正ログインに怯え続けて不眠になる可能性がある。


面倒くさがりと心配性がひとつ屋根の下なので本当に面倒くさい。しかし面倒くさいをねじ伏せようとするとストレスになるから、仕事以外では野放しにしている。心配性は防御力が高いということなのでそのままでいい。
せっせと神経をすり減らしながら、楽な道を選びつづけよう。

#エッセイ

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