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映画マリオへの不満点の整理

※ヘッダーは「鬱ごはん」より引用。

 映画マリオ観賞からニ週間もすぎ、あらかた評価点と不満点が自分の中で言語化できてきたのでnoteにしたためます。普段あまり自分で映画の感想とか書かないのですが(私より言語化がうまい人がたくさんいるので)、今回は自分が気になった点がほとんど誰にも言及されておらず気持ちが整理できなかったため、自分で記事という形にすることにしました。

 映画マリオは結論から言うと私はあまり楽しめなかったです。面白くなさすぎてショックでせっかく作ったシネマイレージカードを受け取ることも忘れて放心状態のままビアードパパに駆け込んでシュークリームを買いました。余談ですが私はユアストーリーを観た時も放心状態のままミスタードーナツに駆け込んでいます。いえ別に自分がつまらないと感じた映画が他の人に好評というのはよくある話なんでそれ自体に文句を言うつもりはないんですが、映画のあまりにも奇妙な点が他の人の感想ではまるで存在しなかったかのように扱われているとさすがに異世界に放り込まれたような恐怖があります。私の観たアレは幻ではなかったよね? あとポジティブな感想を見ても「これつまらないって言ってるやつはマリオプレイしてないんだろうなw」みたいなしょうもないレッテル貼りがバズってるのを見てお前ら人間は本当に自分の正当化に一生懸命だよな、批評家が何言ってようが自分たちが面白いと思ったものに対しては毅然とした態度を取れよ、だから戦争がなくならないんだよ、とディスプレイを拳で叩き割ったりもしました。

 というわけでここからはマリオ映画に対するネガティブな言及とネタバレになります。ご注意ください。



マリオの強さは諦めない心?

 ブルックリンの配管工として失敗ばかりを繰り返していたマリオがワープ土管からキノコ王国に転移してはぐれたルイージを助けるためにクッパとバトルし、失敗しながらも諦めない心で立ち向かい、最後には勝利し、ブルックリンの英雄になり、それはそれとしてキノコ王国に移住する(ん?なんで?)……というストーリー。ブルックリン在住の配管工、というのはオデッセイで出た設定なのだそうです(未プレイ)。ゲームの映画化にあたり、マリオを完全無欠のスーパーヒーローではなく、実際のゲームで失敗ばかりしながら進んでいくマリオプレイヤーに視座を近くする、という意図はわかるのですが、いささか中途半端に終っている印象が強いです。

 たとえばブルックリン配管工パートでマリオ兄弟がクライアントのもとに急ぐために横スクロールアクション風に移動するパートがあり、あれはマリオの優れた身体能力が描かれているシーンでもあるので、なるほど配管工として培ったフィジカルでキノコ王国パートでも活躍をするんだな、と期待を膨らませたのですがそういった描写は今後一切見られない。ピーチ姫の用意した練習ステージでマリオが特訓するシーンでも、失敗ばかりの情けない姿を見せる。あれ? ブルックリンで見せた身体能力はなんだったの?
 ドンキー戦にしてもクッパ戦にしても「マリオの優れた身体能力」については評価されず、「諦めない精神性」だけが評価される。ネコマリオもタヌキマリオもスターもいずれもマリオそのものの身体能力ではなく降って湧いた力で、諦めないマリオへのご褒美、という側面が強いです。でも、マリオというゲームって「諦めないでプレイしていたらタヌキスーツやスターが降ってきて勝てる」ってものではないでしょ!? 「諦めないでプレイしていたらやがてマリオの優れた身体能力を使いこなせるようになって勝利する」というのがマリオの体験でしょ!? どっちかっていうと「ミスしまくってたら(余計な)救済措置で楽勝になれる」やつでは!? 「ブルックリンでは冴えない配管工だった俺がキノコ王国でスターを手に入れて無双します」みたいな話ではないでしょ!? という違和感が終始拭えませんでした。

「マリオの強さとは身体能力ではなくカービィのようにファイアやネコやタヌキといった複数の能力を使い分けられる汎用性」みたいな解釈も可能かとは思うんですが、そうだとしてもやはり描写は足りてない感じ。

 ピーチ姫の用意した練習ステージみたいな特訓描写って後の本番で生かされてナンボだと思うんですが、マリオカートとかドンキーコングとかを詰め込みたかったからかそういうのは一切なし。その特訓シーンって必要でしたか?

ピーチ姫の強さが作劇に齎す害

 この映画ピーチ姫が異常に強い。バトルヒロインとしてマリオと対等な立場で描写されています。それ自体に不満はないです。「スーパーマリオRPG」なんかでも結構アクの強いキャラ付けになってましたしね。問題なのは強すぎてマリオ兄弟ってこの話にいらなくね? となってしまう点です。先述の練習ステージでもピーチ姫のアクション能力はマリオよりも数段高く描写されていて、以後それが覆ることはありません。マリオの身体能力の高さが劇中で評価されることがないのは、ピーチ姫が強すぎるからです。スーパーマリオRPGだとモブが「やっぱりマリオさんのジャンプってすごい!」っていちいち褒めてくれるんですけどそういうのもなし。

 「スーパーマリオUSA」みたいな例外はありますが、マリオとピーチ姫って別に対等ではなかったと思います。ピーチ姫の個人的な強さとは別に、マリオは助ける側、ピーチ姫は助けられる側。スーパーマリオRPGでも最終的にはマリオと肩を並べて戦うキャラクターになりますが、序盤はマリオに助けられる側という“お約束”を守っています。そういう勾配が確実に存在するのを本作は完全に無視しており、マリオとピーチを知るものに取っては大きな解釈違いでした。

 それはまあ個人的な好みの問題として片付けられるんですが、あまりにもピーチ姫が強いと、じゃあ、最終局面でスターがマリオ兄弟ではなくピーチ姫に転がってきても別によかったんじゃないか? となるわけです。
 ひょっとしたらスターに選ばれし存在だったのかもしれませんが……(じゃあ諦めない心とか別に関係ないじゃん!)(そもそもスターでザコを無双するのはいいけどそのままクッパまで倒しちゃうのは全然ゲーム体験に沿ってないだろ、ちゃんと斧で橋を落としたりジャイアントスイングでトゲにぶつけたりしろやみたいな文句が無限に出てくる)
 一応はマリオ兄弟をヒーローに据えているはずの映画で、ヒーローの当事者性がないというのはかなり痛いと思うんですがどうなんでしょう? このあたりの言及をしている感想をまったく見ませんが……マリオに特別な存在であってほしいと考えるのは、私だけではないでしょう。

 いっそ最後にマリオと一緒にライダーキックかますのもポッと出みたいなルイージじゃなくてピーチで良くなかった? とか思ってしまう。そこまで振り切ってルイージとピーチの立ち位置交換してたら逆に好感が持てたかも……。

“余計なオリジナル要素”

 本作のポジティブな感想として「映画化にあたり余計なオリジナル要素を入れていない」というのが結構あるのですがいや……入れまくっとるやろがい!! なんだよあの死は救済マンはよ……!! 私のプレイしてないマリオシリーズにいて「そうそう、マリオといえばやっぱり死は救済がなきゃね~」みたいな感じなのかと思ったらそういうわけでもなさそうだし。クランキーコングがなぜかドンキーの父親になってる(え~!?)とかなぜか技術大国になっているコング勢とかチビキノコでクッパが瓶詰めにされるのとか踏みつけでやられるパックンフラワーとかララフェルみたいな自意識になっているキノピオたちとか全然知らないマリオだろうが……!! いやむしろ大胆なアレンジが多すぎる!! 単にゲームの映画化にはオリジナル要素がないのがよいという思想ありきで言ってるだけじゃないのか!? 無視するなオリジナルの味付けを! それがいいものでも悪いものでももっとちゃんと映画に向き合すいませんヒートアップしすぎました。別に映画はどんな観方をしようが自由です。ハアハア。

 私としては別にオリジナル要素あろうがなかろうがどうでもいいんですけど、シナリオが原作同様「クッパを倒して世界を救う、以上」みたいな単純極まりないものだけに、キャラクターや舞台設定をそこまで弄り倒す必要ってあったか? というのは甚だ疑問です。原作プレイヤーに寄り添いたいのか寄り添いたくないのかどっちなの?

 Cパートで死が救済マンが「できすぎのハッピーエンドだね~」って自己言及的照れ隠し挟むのもあのへん(Twitterの曖昧な場所を指差す)ではかなり忌み嫌われがちなメタ仕草だと思うんですがその辺に触れている感想も見つけられませんでした。照れ隠ししないで堂々と出来すぎたハッピーエンドやれよ! そういう映画だろ! アアアア!!(爆発)

いかがでしたか?

 まとめると「観客のゲーム体験に寄せた諦めない泥臭いマリオをやりたいのかわかるもののその描写が適切ではない」「私はジャンプアクションでかっこよく戦うマリオを見たかったが諦めないマリオ(プレイヤー)の精神性ばかりフィーチャーされていて解釈違い」「シナリオ展開に寄与しない謎のオリジナル要素が多くてノイズ」という感じです。

 多分、シナリオの雑さで-100点になっても映像美やマリオあるあるネタで100000点取って99900点だから良い作品だった、みたいな映画だと思うんですが、後者にノれないと-100点だけが残ってしまうんだなあ、と思いました。実際キノコ王国の生活感とか橋を渡るときに飛んでくるプクプクとかファイアフラワーで衣装チェンジするピーチ姫とか各種ザコ敵の可愛さとかそういうのはかなりよかったし、豪華なファンムービーとしてはよかったのではないかと思います。私も話なんてあってないようなもんだけどとにかく絵が豪華な同人誌とか好きだしそれに文句をつける気はないので、期待しすぎたのかもしれません……でもマリオ映画に期待せずに何を期待しろというのだ!

 映像がキレイで、映画内のエピソードに連続性がなく、観客に視座を合わせるために主人公の格を原作から下げた結果解釈違いになる……というのがかなりユアストっぽい。もちろんユアストほど致命的ではないが……

 イルミネーション映画は他に見ていないのですが、イルミネーション作品に慣れていれば気にならない、みたいな話も見たので、多分他のイルミネーション作品には死は救済マンみたいな謎の存在が出てくるのが普通なのかも……マジで?

マリオ遊びたくなった?

 FF14行ってララフェル張り倒したくなってきました。


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