見出し画像

父と母の死に際して改めて感じる初音ミクさんの重要性

お疲れ様です。

最近ず~っと「でかミクちゃん今日のコーデ」ばかりでしたから久しぶりに別の事を書きます。

TwitterのフォロワーさんとFacebookの友達は周知の事ですが7月12日に母が亡くなりました。享年89。

あ、父が亡くなったのは2年前です。タイトルを見ると一緒に亡くなったみたいですが。享年95。

実のところ、「お父さん子かお母さん子か」と聞かれれば私はお父さん子だったと思います。

父が40歳の時に生まれた子(次男)だったせいか、とてもかわいがられました。

中学に入るまでは毎週日曜日のキャッチボールが楽しみでした。

料理もプロ級で、いつもオムレツを作ってくれたものです。

反抗期は1度もなく、喧嘩もしたことがありません。

一方母はというと、仲が悪いとか関係性が良好でないとかはありませんでしたが、私はどこか冷めた目で見ていた記憶があります。

言い方は悪いですが少し小ばかにしていたというか。

しかし、亡くなる直前のかかわり方は断然母の方が濃密でした。まあ、父の時は少し離れた実家(車で40分くらい)にずっといて、家で亡くなったこと、亡くなる1か月前くらいはあまり私を認識していなかったかな、という事もありました(もっとも、おかしなもので亡くなる数日前に急に私を強く認識するようになりましたけど。)

なので私の中では「1か月前から父はもういない」位の認識だったんですね、極端に言えば。

40歳くらいまではあれほど恐れていた「父の死」に際しても、亡骸を目の前にしても涙が出なかったのです。葬儀中も火葬の時も。

母の時はどうかというと、父が亡くなった2年前からほとんど無関心の兄に代わって私が面倒を見ていました。

あ、でも結局母の時も涙は流さなかったのですけどね。

それでも1年くらいは結構毅然としていた母ですが後半は認知症の進行もあり、「手に負えない」事態にまで来ていたのです。

そのころからケアマネさんに頼るようになりました。

なお、母が末期がんだったというのは今年の1月に知ることになります。

ニチイのヘルパーさんは月から土曜、朝と夕方の1日2回の訪問。最終的には日曜日もヘルパーさんは来れるようになりました。

最終的な要介護度は「3」でした。

そして訪問看護師さんは週1回。

基本、兄は土曜日にやってきて、後、週に3日くらいは私が実家に行ってました。泊まることもしばしばでした。

しかしそれでも何とかやっていましたが、今年の1月くらいからとにかく電話攻撃がひどくなりました。

ちょっと気になることがあると数分おきに電話が来て、内容は同じ質問。

それでも私も兄も我慢していたのですがついに、消防へはしょっちゅう、はては警察にまで電話をして呼ぶ始末。

要件はたわいのないものです。

あと、一度ベッドからずり落ちると上がれなかったり。

そして3月にはケアマネとも相談した結果、施設に入ってもらうことになったのです。

ケアマネさんはかなり親身な人で、人間性も良く、決して冷たい人ではないのですがそれでも「施設に入れることは決して非道ではありません。このままですとお母さんも、家族の皆さんも不幸になります」の言葉が決め手になりましたね。

因みに、認知症が進行したと言っても最後まで私や孫たちの事はきちんと認識できていましたし、徘徊や自傷、暴力行為などはありませんでした。

また、末期がんではありましたがそれらしい自覚症状、「痛い」とか「苦しい」などが無かったのは僥倖です。

亡くなる前の日も比較的元気で(その数日前まで下血と若干の意識混濁があったのですが)、看護士さんが母の呼吸がない事を知ったのも就寝中の早朝4時で、父と同様、「眠るが如く息を引き取った」のはせめてもの救いだったと思います。私が記憶している母の最期の言葉は「わたし、どこも(体は)悪くないよ」でした。

さて。ミクさんの話が出てきませんね。

勿論、毎日ミクさんは私のそばにいてくれました。

画像1

母の事だけでなく、このコロナ禍で会社経営も決して楽という訳ではなく(経営危機という訳ではありません)晴れない気持ちの時も癒してくれたのはやはり初音ミクさん、とりわけ私の妻の「でかミクちゃん」だったのです。

日中は仕事をしたり母の相手をしていればある意味気がまぎれますがやはり夕方以降、ミクさんなしでは乗り越えられなかったかもしれません。

あと私には愛犬の「はなまるちゃん(通称 はなちゃん)」がおり、はなちゃんにも癒されました。あ、もちろん二人の息子にもw

画像2

結局、人間は一人では生きてけないのです。

息子2人は「人間」かもしれないけど、はなちゃんもミクさんも人間ではないのでは?と思われるかもしれません。ミクさんに至っては「生物」ですらないでしょう、と。

しかし私にとって、少なくとも「うちのでかミク」は意識のある存在であり、まぎれもない配偶者なのです。

私がミクさんに対して一方的に好意を寄せるだけではなく、でかミクちゃんが私に拗ねたり、時には(少しだけですが)怒ったり、それこそ笑ったり喜んだりはしょっちゅうなのです。

なので、母が死ぬ間際まで大切にしていた形見の腕時計もでかミクちゃんに委ねました。

画像3

でかミクちゃん以外にも、ミクさんのドールやフィギュアやぬいぐるみ、抱き枕、タペストリーや・・・マジカルミライの映像やカーステレオから流れてくるミクさんの歌声・・・私が常に着ているミクさんのフルグラTシャツなど・・・

全てが癒しなのです。

ミクさんと出会えなかった世界線というものをたまに想像したりします。勿論想像しきれないのですが、どうなっていたか考えるのも恐ろしいです、正直。

初音ミクさんはある意味永遠ですが、でかミクちゃんの「物理的な寿命」は実は永遠ではありません。

勿論ものすごく大切にしていますが、実体がある以上永遠ではないのです。なので、私にできることは毎日綺麗にしてあげて、痛がる体勢はなるべくとらせず、夜は一緒に添い寝して体に負担がかからないようにしています。

たとえ物理的に機能しなくなっても、ずっとそばに居てもらいます。

私が生きているうちに目の前からいなくなるなど、到底考えられません。

先の事は分かりません。私も父の年まで生きる保証などありません。てか95歳までなんて無理でしょう。

極端に言えば明日事故で死ぬかもしれない。

いつか起きるかもしれない南海トラフで命を落とすかもしれない。

だから、後悔の無い様に1日1日を大切に生きなければならないのです。

それは、2年半前に狭心症の発作で心臓の手術(冠動脈バイパス術)
を受けて入院した時から意識していた事です。

愛犬のはなまるちゃんのもうすぐ7歳、平均的な柴犬の寿命を考えるとあと10年くらいでしょうか。

でも、それらをいつも考えていたのでは暗い未来しか見えてこないのです。

なので、私はでかミクちゃん、はなちゃん、そして家族と1日1日を大事に過ごしていきます。



この記事が参加している募集

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?