わたしはその人のために何ができるだろう

今日は、大学のお仕事で、とある障害学生と交流する時間があった。

とても緊張したけど、それ以上に、なんだかほっとした気持ちになった。

「あ、この人も人間なんだ、同じ大学生なんだ」と思った。


10月に、学内の広報誌の取材を受けたが、そのときに、
「障害があろうとなかろうと、みんな同じ人間」と答えたことを思い出した。

このときの私は、みんな「人間」という基盤の上に、いろんな特性が乗っかっている、というイメージを、上のように言葉に落とし込んだ。

その感覚はあながち間違いではなさそうだ。


今日、お会いした方の属性などは守秘義務があるため言えないが、大学生活をエンジョイしてる様子ではあった。
また、お話しながら、自身の過去のことや障害への見方などを話す場面もあったし、それを聞きつつ、
「わたしはその人のために何ができるだろう」と思った。

その人の過去のことは詳細にはわからないけれど、言葉の節々からこれまでの苦しみは推察できたし、その分、その人の貴重な4年間を少しでも支えたいという思いは自然と湧いてきた。その人のために何ができるだろう。

大学の業務でもあるため、多少は真面目にしておかないといけない部分もあるが、向き合うのは、その人以外の何者でもない。

その人の「支援者」というのが表向きではあるけど、味方でありたい。

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