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新聞(紙)を読まない人が「新聞発祥の地」めぐりをしてみた



『新聞』は読むが『新聞紙』は読まない

普段、私は『新聞』を読んでいるが『新聞紙』は読んでいない。詳しく言うとネットで「〇〇新聞」が提供する記事を読むが、「〇〇新聞」の新聞紙では記事を読まない。このような手段を使う方が大半だと思う。

新聞紙は開くのが面倒でおまけに汚れる。対してスマホで読む新聞は、最新の情報が得られるし、使いやすく汚れない。

そして、その『新聞』と聞いて、思い浮かぶのは何だろう。

新聞紙、紙、時代遅れ、偏っている、朝日、毎日、読売、産経…

少なからず、新聞と聞いてこんな感じを思い浮かべるのではないだろうか。もしくは、新聞と聞いても何も思い浮かべない人もいるかもしれない。

なぜ『新聞発祥の地』めぐり?

そんな新聞は、唐突にできたのではない。長い歴史がある。

しかも、日本は新聞発行部数は「世界一」である。

長い歴史、世界一の称号を持つ新聞がどの様にできたのか。その歴史を探ってみたいという思いから発祥の地を巡るために横浜へ行った。

新聞発祥の地、横浜

横浜は江戸時代では小さな漁村だったが、開国後貿易港として多くの外国人が訪れる一大都市となった。

その横浜で1864年に日本初の新聞が誕生した。

日本国新聞発祥の地

中華街の横浜中華学院そばに位置する「日本国新聞発祥の地」だ。

浜田彦蔵(別名:ジョセフ彦)が1864年6月28日に日本初の新聞として『海外新聞』を発刊した。

「童子」にも読める新聞を提唱し、読みやすく分かり易い新聞精神は、現在の新聞製作に大きく寄与した。新聞が中学生でも読める様にしてあるのは、この事が大きいだろう。

その後、1870年12月8日に日本初の日刊新聞が誕生した。

日刊新聞発祥の地

日本初の日刊新聞『横濱毎日新聞』は現在の神奈川新聞社の源流に当たる。横濱毎日新聞の発祥の地は当初、中区北仲通5丁目の旧横浜生糸検査所(現:横浜第二合同庁舎)にあったとされていたが、調査したらそこから400m離れた中区本町4丁目(横浜市役所本庁舎)にある事が判明し、今年2020年4月に再建された。

また、活版を用いて一枚刷りで印刷した手法は現在の新聞紙形態を確立した。

日刊新聞は、店売りよりも戸別配達が主である。戸別配達率は約95%

その新聞配達は戦後において少年が配達をしていた。

新聞少年の像

新聞は、先ほど書いた通り新聞配達が主であり、その多くを少年が担っていた。戦後直後の情報収集手段は、ラジオそして新聞であった。その活躍は今日の新聞配達の発展に大きく貢献した。

新聞博物館(ニュースパーク)


新聞博物館(ニュースパーク)は日本新聞協会が新聞の果たす役割について歴史的資料や体験学習を行える様に開設した博物館

入口前には、現在の新聞印刷に使用されている輪転機を初め日本の新聞発展に大きく関係した歴史的資料が多数展示されている。

最後に

新聞は、民主主義や世論の発展に多大な貢献をしたが、現在では廃れつつある。海外、特にアメリカでは老舗の地方紙が廃刊になり、その地域の情報が発信されなくなり「ニュース砂漠」という現象が起きている。日本でもネット特にSNSの発展により新聞離れが加速、それに加えて少子高齢化の進行によって地方紙も危ない。全国紙も今後どうなるかわからない。

世の中は常に進化している。これまでの手法は通用しない。今までの手法を維持している業界は衰退しつつある。特に新聞とともに発展してきた百貨店業界やアパレル業界がこれに当たる。新聞も変革の時がきているのではないだろうか。新聞紙を用いた新聞発行はコスト面で適切と言えるのか、新聞印刷、新聞配達は必要なのか。新聞社が新聞紙による新聞発行をやめて、記事を書き、新聞製作は変わらずもネットを通じてダイレクトにそれぞれのスマホやパソコンに配信するのみのビジネスモデルが確立できないだろうか。新聞印刷工場や新聞販売店は違うことに活用できないか。そう考えながら歴史を巡ると何か見えてくるのがあるかもしれない。

参考資料

・「日刊新聞発祥の地」記念碑の再建について

・主要都市に「新聞を配る少年像」を建設

・日本新聞博物館(ニュースパーク)

お読みいただきありがとうございました。

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