第七章 順徳院の独白

都から、佐渡に渡る旅は、けして平坦ではなかった。お供のものが病で倒れ、小さな船に乗り換えるときは、都に残した人々を思い浮かべ、心細くも思った。一方で、新しい土地を見ることは楽しみであり、旅の続きだと思っていた。景色のすばらしさに、歌を詠み、すぐ都に戻れるという確信があった。わたしは先の天皇である。鎌倉方が勝利したからといって、公卿たちがこのまま放っておかないはずだ。

あれから何年たったのだろうか。父宮とも、慌しく別れを告げ、それがこの世の別れになるとは予想もしていなかった。離れて暮らしても、隠岐とは、文を通わすことができたから、寂しくはなかった。父宮からは、ときには厳しい批評つきで、送った歌が返される。

辛いとき、物憂いときは、手元にある和歌集を開き、写本する。昔の人が作った歌は、心に染みるようだった。まつりごとは、鎌倉方に任せておけばいい、歌詠みができることは、雅な者たちだけだ。実朝は、優れた歌を作ったが、関東では、その価値をわかるものがいなかっただけだ。

佐渡の春は卯月。それまでは、小雪がちらつくこともある。そんな三月十七日の夜、思いがけない知らせをもって、使いが到着した。隠岐に暮らす父宮が二月二十二日に崩御したというのである。わたしは、驚き、哀しみ、一人で立てぬほどだった。

  三月十七日の夜御つかひにおどろきにし夢の名残猶さめぬ心ちして、

春の夜は みじかき夢と聞きしかど ながき思ひの さむるまもなし
(春の夜の夢は、短いと聞いていたけれど、このつらく長い思いは、明けることのない煩悩の闇のように、覚める時もないことだ)

詳しいことは何もわからない。もどかしく日数だけが過ぎていく。数えてみれば、四十九日はまもなくである。離れて暮らしているのが、こんなに辛いと思わなかった。

  またの御つかひまつ程、こころもとなくて、日数もすぐれば

今更に かなしき物は 白雲のかさなる中の 別れなりけり
(次の御使を待つ間、もどかしく日数がすぎていったので。
今また改めて悲しいものは、白雲が幾重にも重なって、遠い国に隔たっている間柄の別れであることよ)

父宮が崩御された時、わたしには何の徴も感じなかった。最後に、お別れに来て、夢にでも現れてくれればと、思うと、哀しさで胸がいっぱいになる。ひとり寂しく御隠れになられたのだろうか。


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