第十章 本多と花井の会話 つづき

「本多くん、きみは時間というものをどう考えている? 連続した一本の道のようなもの、だと思うかい。」

今日の花井は、お茶を入れながら、哲学的な問いかけをした。予定のない土曜日の夜、二人は、好きなだけ、語ることができた。

「花井さん、時間は決して連続したものではないと思います。」
本多は、まず心に浮かんだ答えを、素直に話す。

「時間というのは無造作に積み重ねられた書類の束のようなもの。時折、ひっくりかえったり、風に飛ばされたりして、意図せずに動くのです。そんなことを考えたのは、この間、東京に出かけたときのことです。」

本多は立ち上がって、リュックから本を取り出した。

「この、上中下三巻のうち読みかけの下巻を持って東京に向かいました。読みはじめると、入っていたのは中巻だけ。最後まで読みたいと思い、さいわい、書店で下巻を見つけて買うことができました。旅の途中まで読んでいた中巻と、買い求めた下巻を交互に読んで過ごしましたが、違和感はなかったです。ああここで主人公はこんな道を選択したのだ、ああ、この事件が深刻なものになっていくのだな、と二つの物語が並行して進んで行き、それは、それで面白かった。人生ってこんなものかなあと、思いました。」

花井は、満足したようにうなづく。本多と会うことが多いのは、佐渡の農業高校の中でも、こんな話が自然できるからだ。

「積み重ねされた書類の束、というのは面白い発想だ。今は秋で、月が美しい夜だが、考えると、順徳さんもこの佐渡で、同じように月をみて過ごしているのだろう。ぼくたちの時間の少し下に順徳さんが過ごした時間が重なっている。」
そう考えると、温かい思いが胸を流れる。

「地理的なものは、大きな要素ですね。パリにいる人よりも、佐渡にいるひとのほうが近しい。何百年と離れていても、同じ場所にいるのは、引き合うものがあるのです。」
本多は、立ち上がって、電灯を付けた。

「ぼくたちも、引き寄せられた組なのかもしれない。」ふたりは、顔を見合わせてわらった。

「佐渡にいるからこそ、調べられることがある。だから、ぼくたちが指名されたのだろう。能楽の調査は、あらかた終了したから、まとめるだけなのだが、順徳さんのことも、調べてみようと思う。きみは、どう思うかい。」
花井が尋ねる。

「ぼくも同じことを考えていました。この島になぜ、能舞台が多いのか、そして、今も演能が続いているのか、調べているうちに、順徳さんに行きついたのも、ご縁があることなのでしょう。」
本多は、今宵も遅くまで話し込むだろうと、予感した。それは楽しい時間になるはず。

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