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住んでる村の選挙について思うこと。

元来、選挙の類が苦手である。

特に、選挙戦というものが嫌いだ。普段むっつりしている人々が、急に笑顔で握手を求めてくるというのは、僕のようなものにとっては恐怖でしかない。

が、我が家にも投票券が届いたので、仕方がないので20時までの選挙に向かった。僕が住む村の選挙である。しかしいつになっても、「清き一票」というフレーズにはやや辟易する。村政だろうと、国政だろうと、そのほとんどの目的は利益配分決定者の選択だからで、純粋無垢な権利みたいなものを誇張されると鼻白んでしまう。

双方の関係者が家に置いていった冊子を眺めるにつけ、争点は、少なくとも「政策」においてはなかった。

前職の候補者から届いたハガキは、「様々な学びや子育てを支援」「ご縁と交流で支えあい」「美しく安心な村づくり」「地域の活力向上」という言葉が並んでいる。その説明には具体性があまりなくて抽象度が高く、検証しづらい公約であるが、これらを読んでみると、今の「高齢者中心の住民たちに対するサービスの向上」が、彼の基本方針なのだなと感じる。

一方、新人候補の方は「安心して子育てできる村」「いざという時に頼りになる村」「子供たちが自分の好きなことを見つけられる村」「みんなでつくる活気のある村」という言葉が、政策提言として並んでいる。が、これらも前職のそれと等しく具体性が乏しく、およそ検証不可能なものではあるが、「子どもと子育て世代を中心とした住民たちに対するサービスの向上」という基本姿勢が読み取れる。

無理やり感じ取るならば、中高年を大事にするか、子どもを大事にするか、というのが争点となっているとも言えるが、言う順番の違いくらいで、だいたい似たりよったりのことしか書いておらず、判断材料としては厳しいものがある。

双方の「公約」と「政策」にないのは、この村というものは、そもそも今、一体どういう問題があるのか、そしてそれをトップについてからどうやって解決しようとしているのか、というあたりまえの思考からくる問題の抽出と、改善策のプラニング、そしてそれの提示である。

どう見ても、この村の最大の課題は「住民減少」にある。それが自治体として成立し続けられるのかという、唯一無二の道標だからだ。

それに対して、現在の住民に対するインセンティブを高めるだけでは、悲しいかな問題に対して何も考えていないのと同義だ。

移住者の僕が言うのも変なことだが、そのためには、転出者をつなぎとめたり、Uターン活動を奨励するだけではまったく足らず、移住者を入れるしかおそらくない。

「神山は、移住者を選択している」という、実態は疑問だが半ば伝説的なフレーズが神山にはあり、それにより移住希望者にややマウントがかけられるというか、襟を正さなければいけないような感覚があった。事実、その選考には一定の基準が働いていように思う。

この村も移住者は増えているが、そのような基準が言明されておらず(おそらく策定すらされておらず)、同タイプの移住者が増えたり、かなり質の悪い移住者が、荒らし行為をするケースなどもあったように思う。

移住者を入れた後に、どうするかというプランニングも要る。そして既存住民に対して、どうやって移住者が入ってからふるまうのか、新しいコミュニティをいかに運営していくのかという情報が、現在の村政に変わってからは特にない。常会という、昔からやっている寄合に参加させるだけでは、移住者は住民として振る舞えないだろう。(常会システム自体も、そろそろ検証が必要な、古いシステムだ。)

こういうものを行うために、「しんや」という拠点を巨費を投じて新設したはずだが、名称のわかりづらさも絡めて、有機的に機能しているとは到底いえない。

外的な視線がないため、車で横を通る人には、ただのアイス屋さんと休憩所だと思うだろう。僕はあそこは未だに「佐那河内村移住交流センター」だとすべきだったと思う。

僕はこの村と関わるようになってから今に至るまで思う、最大のボトルネックは、「外的視線の欠如」である。

それはある意味においては、幸せなことではあったのだ。よそのことを考えず、住む地域のことだけ考えて生きれていれたのだから。だが、それはもはや無理だろう。そこをアップデートさせるのが政治だけの責任ではないように思うものの、しかしそれは歴然としたボトルネックだ。

この村は、隣の神山町と比べて圧倒的に「交流人口」が少なく、人々が足を止める場ではないということに対するブランディングがまったくない。

僕が以前、「つづくむら」というコンセプトを出した時、これといって何も特徴のない、と自嘲する村の人々から話を訊くにつけ、そういう何の変哲もない村が、1000年も続いてきたということ自体が、奇跡的なことなのだと感じ、そうワーディングして提案した。

「むら」という、全国でもすでに希少で、徳島では唯一なことこそを「誇り」にすべきだと思ったのだ。かつては淡路島まで含めて鳴門市、徳島市の大部分が「名東郡」であったわけだが、現在唯一の「名東郡」であるということを、もっと表現できたりもすると思う。(「さち香る風の谷」という、新しくされた歯の浮くような内容のない現在の言葉では、それは何も表象できはしない。)

ゆえに言明されていない課題の一つは、ブランディングであり、この村をどう運営すべきかということを考える上でのグランドデザインがないことである。

前村長時代に標榜された「1000年祭」というのも、まったく実行されなかった。これは、ブランディング的に考えるならば、大失態であったといえる。

この村は、村であるということが最大のボトルネックでもあり、逆に最大の長所にもなりうるということだ。

黄色い衣装に包まれた新人候補は、前職者のどこが問題で、それをいかにして解決しようとしているか、ということを述べたかどうか僕にはわからない。(述べねば、あえて対立する意味がない。)

もっと細々と彼らの主張を仔細まで見ていけば、具体が示されているのかもしれないが、僕のようなものにはそれらを自発的にディグって見ていく時間があまりない。ジャーナリズムの世界では、「黄色」というのは中立のアイコンであるらしい。なので、色としては決闘を挑む色ではないし、政策案としても、違いが見いだせないのが残念なところであった。

名前の連呼、笑顔、はちまき、選挙カーから振られた手だけではいつまで経ってもわからないので、考え方をまとめた論文のような冊子を一つくってくれればよかったのにな、と思う。その不明点を追加で説明してもらう機会でなければ、公開質問などしても、新生ジャニーズの懺悔会見のようになってしまって、あまり意味がないだろう。

一揆の研究者が、その昔一揆の際に参加者が掲げていた言葉が、具体的な要求などではなく、「もっと清く正しく生きる」みたいな具体性のない精神論ばかりであったと何かに書いていた記憶があるが、何百年が過ぎても基本的に僕らはアップデートできていないのである。

過剰な「よろしくお願いします」は要らない。考えるのはこちらなのだ。支援者の人ならば、「もうすでに配布している」というだろう。だが、すでに配布されているものでは、まったくもって小学生に向けられたようなもので、ちゃんとした成人がじっくり考えるということはできる代物ではない。

そういうことができないというのは、そもそもこの国の選挙というものの本質は劇場型であり、わたしたち市民がどういうふうに受け止め、考えるのかということが著しく損なわれているということである。

つまり、為政者というものは、そもそも制度的に、市民というのは馬鹿だと思っている、ということだ。それがこの国の選挙というものの構造なのだろうと感じる。テレビの作りと一緒だ。

これは、今回の候補者二人の問題ではなく、制度悪と呼べるようなものだが、こういうことが続く限り、わたしたちの一票で未来が左右できるなどという大言壮語を現実のものにすることなど到底なしえぬことなのだ。

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どちらの候補者が選ばられるにせよ、一住民として感じるのは、おそらくこの選挙戦の二分された支持者の塊が、この村をそのまま表象しているということだ。どちらにも知人がおり、個人的には非常に難しい。

もし前職が再任され、彼が現状維持に留まって、具体政策が出せないのならば、新人候補者を、「副村長」として任命するなどの度量が示されてもいいなと感じる。

或いは新人候補者が、新村長になるならば、これまでの村のオーソリティをいかに巻き込むのかというのが、一部の支持者たちだけではない「みんなでつくる村」というものの切実な具体になるだろう。

ということを考え、投票所から帰宅しました。

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