長岡参

映像作家、映画監督 | 代表作『産土』『神山アローン』(U-nextで配信中)『あわう…

長岡参

映像作家、映画監督 | 代表作『産土』『神山アローン』(U-nextで配信中)『あわうた』(ポルト国際映画祭監督週間コンペにて二部門受賞)池袋東西の伝統芸能を追う作品『音、鳴りやまぬ。』編集中。『それでも種をとる人(仮題)』『せきぞろ(仮題)』コロナ禍で大幅制作遅延してます。

マガジン

  • 参の徒然

  • 小説手習

  • 産土3マガジン

  • みんなの伝芸マガジン

  • 産土 / Ubusuna 第1部マガジン

    映画『産土』のオンライン再編集版にまつわるインタビューや、コラム等を掲載していきます。

最近の記事

National Geographicと僕。

正直ここまでとはまったく想像していなかった。このリンク先の再生回数は、現時点で70万アクセスを超えている。意味がわからない事態になっている。。 経緯はこうだ。National Geographic(以下ナショジオ)のミニドキュメンタリーコーナーに、拙作「The Birthplace of Soy Sauce」の掲載の問い合わせがやってきた。この作品は湯浅町からの依頼で製作されたものだったが、公開後のプランがほぼないといっていい状態だった。流行りのインバウンド向けで英語ナレー

    • 山伏

      *インタビュー文を読まれる前に、もし映画を未見な方はこちらをどうぞ。 『産土』第3部ーー山伏と神の島(『産土』本編)https://youtu.be/jnZ1aUf4gIA 🎬長岡活動写真館 005 ーー『産土』特別編「山伏 」 (まったく新しい編集した未公開バージョンと長岡の解説)https://www.youtube.com/watch?v=UueVgBGSu54 ●山は死と再生の場所 ——星野さんが山伏になって、どのぐらい経つのでしょう。 星野:山伏は24歳のと

      • 『雨乞いと老婆 〜映画『産土』特別編②』

        一度会っただけでずっと心に残る出会いがあり、一度赴いただけで二度と忘れられないような場所もある。ただの通りすがりのはずが、取り憑いたように心に残って離れない。誰にもそういう場所があるはずだが、僕にとっては山梨県の早川町がそれにあたる。言ってしまえば、地名を耳にしただけでちょっと胸キュンしてしまうような場所なのである。 寡聞にしてこの町のことは、2012年の取材前は名前も存在も知らなかった。聞くところによるとここはなんでも「日本で一番人口の少ない町」という余り嬉しくない日本一

        • それでも、獣とたたかう94歳

          住民の一人である望月ふみ江さん(当時94歳)は、お嫁に来て以来七十数年、なんでも自給自足で暮らす中、畑仕事に精を出し、娘さん三人を育て上げた。(去る2014年の12月に他界されました。ご冥福をお祈りいたします) 「わたしの小ちゃい箱庭」と言って案内してくれた畑には、ふみ江さんお手製の、トウガラシ形の獣避けが吊り下がっていた。さまざまな害獣に荒されている現状を、「まるで動物園みたい」と評しながらも、「くよくよしても仕方ない」と話してくれたその言葉に、こちらが奮い立たされるような

        National Geographicと僕。

        マガジン

        • 参の徒然
          11本
        • 小説手習
          2本
        • 産土3マガジン
          1本
        • みんなの伝芸マガジン
          1本
        • 産土 / Ubusuna 第1部マガジン
          13本
        • 神山アローン
          3本

        記事

          『泡沫唄《あわうた》 ―木偶《デコ》と瞼―』 

          以下は、今はなき阿波しらさぎ文学賞に試しに出すために、拙作映画『あわうた』を掌編文学化したものであーる。映画中では脇役の幸治目線で書いたものだが、いかんせん15000字という縛りで中途半端な作品となった。わかっちゃいる、わかっちゃいるが関の山。そう、見事に落選したが、せっかくなんでひと目に触れるところにおいておく。  やはり残り湯に温味などない。震える手で次から次へと扉を開ければ寒気のみ這い出てくる。世間にひた隠しにし通した臍帯《きずな》は、あの女に八つ裂かれた。吹けば飛ぶ

          『泡沫唄《あわうた》 ―木偶《デコ》と瞼―』 

          山伏とは何かと訊ねると、「修行して祈る者だ」と星野文紘さんは言った。

          本記事は2018年1月に書いたものである。 ● 序 久しぶりに2012年の夏に撮った山伏修行の映像をつなぎ直してみた。 最初に編集した当時、僕がメインで使っていたiMacでは、4Kの素材をゴリゴリに編集したり、色を好きなように弄ったりすることなど夢のまた夢だったこともあるが、技術のことよりむしろ当時の自分には冷静になれるだけのゆとりがなく、一つ一つの素材に向き合うことができなかったのかもしれない。今回あらためてゼロからそれに向き合い、完全な「新作」といって良いと思えるほ

          山伏とは何かと訊ねると、「修行して祈る者だ」と星野文紘さんは言った。

          2012年10月、キャラバン隊は有機農業で有名な島根県柿木村へ「あたりまえ」を探しに赴いた。

          ++++++++++++++++++++++++ 「あたりまえ」とはなんだろうか?とこの撮影以来折に触れ考えてきた。 ごく一般的に考えるならば、収入、家、家電、電気ガス水道にネット、服装、髪型、仕事、家族構成…それらの各要素をできるだけ平均的なものにすることこそ、「あたりまえ」だと。スマホがあって、アイコスを吸って、ユニクロの服を着て、テレビはあまり見ずにNetflixでドラマを見る…みたいな。そんな「ふつー」だと思うことが即、「あたりまえ」になると。 だが福原さんらが

          2012年10月、キャラバン隊は有機農業で有名な島根県柿木村へ「あたりまえ」を探しに赴いた。

          Awauta - Director’s Statement

          The premise Our world is undergoing enormous change. There are many people who find it hard to keep up, but the people I want to paint are those who are numb to the currents, poor, and carrying all kinds of insurmountable problems. My hero

          Awauta - Director’s Statement

          『鬼ヶ島の祭~小さな島で行われるマッチョな秘祭~』

          https://youtu.be/DtcfeypVnyY?si=frv43z5MeBRCHzFe 1 ● 4人の少年 太鼓を叩く4人の少年を乗せた大きな物体が、海にプカプカと浮かんでいる。20人ばかりの眼光の鋭い男たちによって担がれている。物体の正体は太鼓台というもので、西日本の瀬戸内海沿岸では、よく神事のメインとして用いられ、あたかも神そのものようにどこまでも丁重に扱われるものだ。この地では、それを〈ちょうさ〉と呼ぶ。重たい丸太の棒を各々の肩に食い込ませたカキテ(担ぎ

          『鬼ヶ島の祭~小さな島で行われるマッチョな秘祭~』

          「あたりまえ」をすると云う、或いは非常識な勇気。

          本インタビューが使われている『産土』第2部https://youtu.be/QaAiXlPWrJM?si=fBMkonvYMh3XkYo1 元々、旧柿木村の役場で働かれていた福原圧史さん(S24年4月生れ)。現在は農家をしながら、「NPO法人ゆうきびと」という組織の会長をされている。彼の畑で作業をしている手を止めてもらい話しを伺ったのだが、その風貌からはおよそ行政的佇まいを感じさせない、理知的な瞳がこちらを見つめていた。彼は柿木の大井谷棚田で実験的に行われたトラスト制度/オ

          「あたりまえ」をすると云う、或いは非常識な勇気。

          2019/3/5の日記

          終わった。 台本から始まって、約1年4ヶ月。自分の初のフィクション作品となる自主映画、しかも長編。その最終書き出しをつい今しがた今始めた。 僕は何を作ったんだろう。言葉でうまく言えない。いや、言葉で言えないようなものをこそ、作りたかったんだろう。長かった。自分の無力さ、才能のなさを思い知った。現場も仕切れず、ロクに演出もできず、あらゆるものが遅延していく。絶対に終わらないといつしか思った。去年の映画祭では半分だけ出すという苦し紛れな馬鹿さを晒す。編集中あらゆる機械が壊れる。親

          2019/3/5の日記

          せきぞろ(節季候)考

          序:以下は「あわうた』の制作中に劇中歌として大事な役割を果たす小松島民謡『せきぞろ』についての長岡の考察である。徐々に興味が湧き始め、いつしか短編のための企画書のようになりだした。素人研究とドキュメンタリー企画のアイノコぐらいだと考えていただきたい。これをネットで公開するにあたって、『せきぞろ』に関する知見を有する色々な人に巡り会いたいというやましい動機があると告白しておく。 ==================================================

          せきぞろ(節季候)考

          12/10ー12 久高ロケにて

          なぜ文字など書くんだろう。いちいち。 七面倒臭いのに。だが書かなければ、忘れてしまうから、やはり今のうちに書く。 久高島から帰ってきて、文字も言葉も消えればいいのに的感覚に暫く陥った。そんなもの、いらないじゃないかと。ある出逢いがきっとその主要因に違いない。 その11年前にも訪れたことのある沖縄東方の離島を案内してくれたSさんは、僕が言葉を吐く度に、性急にわかりやすい概念で、彼の行為や、島の有り様をくくろうとするのに釘を刺してきた。 彼は「楽園」を作るのだという。人生

          12/10ー12 久高ロケにて

          みんなの伝芸、スタートします。

          どもです。長岡参です。 僕はこの12年来、全国を回りながら様々な民俗や芸能などを撮影してきました。そしてただ単に現代社会で生きているだけたらとても知り得ることもないだろう、多くのものを目にする機会を数多く得ることができました。コロナ禍の渦中で、東京豊島区の3つの祭礼を密着取材したことがきっかけとなり、このままでは滅んでしまう多くの民俗芸能があるのだと知りました。そこから調べてみると、Uber Eatsのドライバーなどで生計を立てている歌舞伎俳優などが実際多く存在するようなこ

          みんなの伝芸、スタートします。

          住んでる村の選挙について思うこと。

          元来、選挙の類が苦手である。 特に、選挙戦というものが嫌いだ。普段むっつりしている人々が、急に笑顔で握手を求めてくるというのは、僕のようなものにとっては恐怖でしかない。 が、我が家にも投票券が届いたので、仕方がないので20時までの選挙に向かった。僕が住む村の選挙である。しかしいつになっても、「清き一票」というフレーズにはやや辟易する。村政だろうと、国政だろうと、そのほとんどの目的は利益配分決定者の選択だからで、純粋無垢な権利みたいなものを誇張されると鼻白んでしまう。 双

          住んでる村の選挙について思うこと。

          「言葉にならぬもの」

          随分と前に作った小作がやっと公開された。 え?なに??いつこれ?3年前??…。 京都の老舗茶筒屋である開花堂の六代目、八木隆裕さんを追ったものである。一応広告の類ではあるが、「作品」として作っている。作ろうとした。 これが作り終わるかどうかの最中でコロナになった。 コロナがなかったらならば、あるいは僕は京都にオフィスを構えていたかもしれない。が、今時間が経ってみると、無骨な坂東武者の、はたまたいかがわしいバクロの血を引く自分には都の人々から歓迎されていたのか、馬鹿にされ

          「言葉にならぬもの」