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温かい気持ちでオタクがしたい

温かい気持ちでオタクがしたいだけなのかもしれない

8年間オタクをしてきて行きついた先の思考がそこだった。
いろんな好きの形を見ていくうちに、狂気以外で成り立つ好きを知った。温かい気持ちだ。刺激やドキドキは少ないが、でも確かに安心できて大切にしたいと思える気持ちだ。

オタクとしての毎日は刺激的だった。彼に動きがあるたびに一喜一憂して、同担に嫉妬で攻撃されても打ち勝つ精神力を育てて、同担に負けないためにSNS画像合戦に気合を入れて、ライブに行くために何十枚もCDを積んで、精神的にも金銭的にもカツカツで、毎日が彼に削られていくような毎日だったけど、それでも大好きな彼のことを何よりも優先したかったし、そんな非日常的で刺激の溢れる日々がお気に入りだった。

いつからだろう。狂ったように応援する力が無くなってしまったのは。狂うことに疑問を持つようになってしまったのは。ずっと狂っていられれば良かったのだろうか。

今思えばきっと、無意識的に苦しい、オタクをやめたいと本当は思っていたのかもしれない。いや、正直に言う、何度も思っていた。
でも、オタクをやめたいだけで、彼のことが嫌いになったわけでも飽きたわけでもない。ただこの狂った毎日から抜け出したいだけだった。だけど大好きなのにオタクをやめる事なんてできない。大好きだから無意識的にCDを積んでしまうし、お金をかけてしまう。彼のためならお札が紙切れに見えてしまうのだ。そして私がオタクをやめたら私の生きる意味は何なのだろうかという不安もあった。

でも人間は変わってしまう生き物だ。私から狂気が消えてしまった。また、あの日みたいにオタクができる日はやってくるのだろうか。分からない。
狂っていた日々もお気に入りだった。あの頃の私も好きだし、あの頃の私がいたから今の私がいると思う。
でも今の私はこの暖かい日常が好きだ。誰とも戦わない日々が優しくて好きだ。一度戦場から抜け出してみた。結果居心地が良かっただけだ。

もしかしたらまた、戦場に戻るかもしれない。
その時はその時だ、それもまた楽しい時間の一つだ。でも今は少しだけ狂ったオタクを休ませてほしい。
優しい気持ちで誰とも戦わず、シンプルに彼が好きという気持ちだけで生きることを許してほしい。

狂ったオタクではなくなってしまった。それでも私は苦しい日々を支えてくれた彼のことを今でも愛している。そしてこれからもずっと

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