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夢女にTwitterは必要なのか

夢女としてTwitterを続けてきて、一体夢女にTwitterは必要なのか。もしかしたらTwitterは夢女を病ませる最大の要因なのではないかと思ったので、それについて考えてみたnoteです。

Twitterは楽しい。同じ趣味の人と盛り上がることができる。Twitterで出会った人とイベントで会ったり、一緒に遊ぶなんてこともある。同じ趣味を持つ人が近くにいない人間にとってTwitterは最高のコミュニケーションツールだった。
しかし、みんな一回は思ったことがあるのではないだろうか。「Twitterやめたい」と。私はある。特に今思っている。よくよく考えると趣味に関する悩みは大体Twitterをしてるからなんじゃないかと思えてくるのだ。

Twitterをしていると夢女の私にとっては、私とあなたという関係が崩れる時がある。例えば同担夢女に遭遇する時だ。イベント会場で同担に会う時は、私もあなたも同じ子を応援しているだけ、と現実的な認識できるため全然平気だが(たまにすれ違い様睨まれるのは嫌だけどね)Twitterだと相手の思考が文字になって見えてしまうのが厄介だと思う。
それでも、私たちは私たち。他は他と区別をつけているつもりだった。でもどうしても他がいると認識してしまうと、どんなに区別をつけようが認識していなかった頃の感覚には戻れない。また、Twitter上に同担が多数表れることによって競争心が沸き、マウントの取り合いを見る場面も多い。これを見るのもマウントをとるのも正直面倒くさい。

そもそも最近夢思考を表に出す必要があるのかと疑問を持ち始めた。私の中では私と彼の世界線が出来上がっている。それをわざわざ発信する必要性があるのだろうか。数年間夢垢を動かしてきて、楽しい思い出もたくさんあった。フォロワーさんに素敵なカップルだねと言われたり、カップルとして応援していただけたことは本当に嬉しかった。でも、今はもう発信しなくてもあなたとの生活を楽しめる気がする。

あとはこれは個人差があるが、二次創作を見たり第三者の彼への解釈を見ることによって、もともと自分の持っていた彼へのイメージが変わることがある。一気に変わるのではなく徐々に彼の新しい解釈を取り込んでいくうちに、最初に彼へ抱いていた気持ちとは異なる気持ちが現れたりするのだ。これをよくとらえるか悪くとらえるかは人による。新しい解釈の仕方としてプラスにとらえられるのであれば全く問題ない。でも私は私が感じた彼への気持ちをもっと大切にしたいなと感じた。

多分私が夢女として生きる上で求めているのは私と彼の唯一無二性なのだと思う。それがTwitterをしていることによって歪んでしまうように感じるのかもしれない。Twitterから流れてくる様々な思考や、夢女の在り方の定義に惑わされている気がするのだ。たくさんの人が彼との恋愛を楽しんでいることは知っている。でも知っているからこそ私と彼の思い出、彼の相手が私であるからこそ生まれる関係性を大事にしていきたいのだ。この関係性が許されるのが夢女の世界であると思う。

二次創作や解釈など正直自衛すれば防ぐことができる。でもいちいち彼×女の文章や絵を偶然目にするたびに頭を悩ませたり、私Twitter向いてないな...と感じながら続けることは私には苦しかった。
とはいってもTwitterで出会った大切なフォロワーさんとは縁を切りたくない。またイベントがあったら絶対に会いたい。
なのでとりあえず考えたのはまずTLを見ないことだ。たまに呟いてみたり、お出かけした時の写真を載せたりして微妙にアカウントを存続し続けながらもTLは見ずに、投稿専用のアカウントとしてしばらくは様子を見てみようかなと思う。

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