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同担と戦うのやめました

同担との無言のSNS上でのマウントの取り合いが永遠に続く中、私はもうこの戦いを降りることを決意した。ここでは同担と戦うことをやめて他人と比べずに彼と生きることを決めたことについて書いていきます。

気づけば私はいつだって同担と戦っていた気がする。
Twitterのタイムラインに流れてくる同担の彼とのツーショットや、同じグッズを大量に可愛く並べている写真。可愛いカフェで彼のアクリルと写っている写真。
それらを見て私は、「彼が可愛い女の子と並んでいる。彼が取られてしまう。私の世界の中の私の大好きな彼が他の女の隣にいる」と思い、嫉妬し、負けてはいけないと思っていた。
勝つためには流行りの量産・地雷風の可愛いフリフリした女の子らしい服を着て、痩せて、整形をして、かわいさでも中身でも、愛情表現でも全てにおいて同担に勝たなくては、1番にならなきゃと思い込んでいた。
周りが自慢げにかわいく推しと過ごしている写真を見て、私も同じようにしなきゃいけない、負けたくないと思い続けて、沢山かわいい格好をしてかわいいカフェに行った。かわいく着飾った私とかっこいい彼の最高の写真を自慢げに載せたりしていた。
それは彼が決して誰かのことを指名して1番と言ってくれることがないからこそ、ファンの中で1番になることによって、彼の1番になりたいという欲求を満たしていたのかもしれない。

しかし最近は、この争いになんの意味があるんだろうと疑問を持ち始めた。
正直常に勝たなくてはいけないと思っていたが、それは誰のために戦っているのだろうか?勝って何の意味があるのだろうか。それはファンの中の勝手な嫉妬争いに勝っただけで、別に勝っても彼が喜ぶわけでもなんでもないなと目が覚めてしまった。

急に目が覚めてからは、自由に大好きな彼を応援できるようになった。
様々な考え方があることも理解しているが、グッズを沢山買う事が正義じゃない。欲しいグッズは買って、今は必要ないグッズは買わない。そういった当たり前だけど、見えていなかった選択ができるようになってきた。
服も必ずしもかわいいフリフリな服を着なくたっていい。気分によってストリート系を着てみたり、大人っぽい服を着てみたり、ギャルみたいな服を着てみたり、好きな服を選んでみるようになった。
でも自分磨きだけは欠かせない。同担との戦いはやめたが、彼の女として彼にふさわしい綺麗な女でいたいとは思い続けている。これからは同担とではなく、自分との戦いになるかもしれない。

どの応援の仕方が正しかったかなんてわからない。前までの彼に対して狂ったように執着して、周りを敵視しているのがもしかしたら一般的な夢女に近い姿かもしれない。
でも私は幸せにそして平和にこれからもずっと大好きな彼の夢女として生きるため、今は一度狂った夢女を卒業する事を決めた。
自分なりのペースで誰とも戦わず、自分が納得できる自分好みの私で大好きな彼と過ごして生きたい。

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