ミルクティー

音楽と美味しいご飯とお酒があると幸せです。 2024年2月、乳がんの遠隔転移と診断…

ミルクティー

音楽と美味しいご飯とお酒があると幸せです。 2024年2月、乳がんの遠隔転移と診断されました。 美味しいご飯とお酒はなくとも、割と楽しくやってます。

マガジン

  • 20年前の日記を読む

    20年前、二十歳の時に書いたポエミーな日記。ちょっとかわいそうなので、20年後の自分から励ましを送っています。届かないけどね。

最近の記事

乳がん遠隔転移 〜咳が酷いので休薬します

こんにちは、ミルクティーです ベージニオを開始して11日目、ちょっと休薬してみる事にしました 理由は咳。 急に酷くなり、慌てて担当医に相談したところ「開始1週間で間質性肺炎が起きるとは思えない」と言われたので、緊急性はないと受け止めていました でも昨日の夜、仕事終わる頃に(遅番だったので22時頃)咳がしばらくで続けていて、もう立って居られずに身を屈めるくらい連発するので さすがに「これはダメだ」と、思い切って服用するの止めてみました でもこの咳、ベージニオの副作用なので

    • 乳がん遠隔転移 〜スロージューサーを買いました

      こんにちは、ミルクティーです。 ベージニオの服用を始めて5日目、今のところ下痢の副作用はありません 最近買った、スロージューサーで作る”りんごにんじんジュース”が美味しいので、こんなの飲んでるよ〜と載せておこうと思います スロージューサーはこんなマシン 本体はこんな感じ、コンパクトでひとり暮らしのキッチンでも邪魔にならないのがとてもいい!プラスチックパーツのスクリューで絞るので刃物が付いていない点も嬉しかったです りんご1個、にんじん1本 よく洗って皮ごと切ります(り

      • 乳がん遠隔転移 〜ベージニオ治療1日目

        こんにちは、ミルクティーと申します。 今回アカウント名を変更し(Xの治療アカウントと同じにしました) これから始まる治療について、新たに知ったことや、思ったことを書いていこうと思います。 2020年の2月。 左胸のしこりが気になり、自分で病院に行ったのが乳がん治療の始まりです。 実は当時の想いを書いた文章が、noteの下書きに残っていました。 公開することなく3年が経ち、その間、自身が病気という認識も薄れていたのは事実だし、「悔いの無いようやりたい事を全力で取り組もう!」

        • 私は訳もなく、何もしたくない。

          毎日暑い日が続きますね。 せっかくの休日も、午前中から出かけたいと思うのですが、暑さに負けそうなので、夕方まで外に出れないでいます。コロナのせいで閉店時間が早くなっているので、うっかり買い物が出来ないなんて事も… さて、だったら夕方まで何をしてるんだ?と考えてみたら、あまり何もしてません。スマホでSNS見てたら1時間経ってた…が多いです。 本来だったら、作りかけのスライドムービーを編集したり、断捨離中の不用品の処分を考えたり、資格の勉強をしたり、聴こうと思っていたアルバム

        乳がん遠隔転移 〜咳が酷いので休薬します

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        • 20年前の日記を読む
          34本

        記事

          それは、壁を乗り越えた証。

          寝違えてしまったのか、首が回らず。 痛いな、痛いな、と過ごしていたのですが…、治療費の支払いで頭がいっぱいだったので、家賃の振込を忘れていた事に気づきました! 「首が回らない」という言葉で、家賃を思い出すのというは、それなりの経験値だと思います(悪い意味で) さて、20年前の日記を。 2000年8月3日 恋しかったはずなのに 全てが色あせてみえる 大好きだったヒーローでさえ もう心は踊らないんだ こんな日が来るなんて 思ってもみなかった 2000年の夏。 私はフジロッ

          それは、壁を乗り越えた証。

          人にはちゃんと見られている。

          シフト制の為、午後から仕事が入っている日曜日。 平日に休みが取れるので、土日に仕事があってもあまり気にしていませんが、SNSを見ていると、楽しそうに週末を過ごす写真に、少し羨ましさを感じるのは確かです。今年は自粛もあるので状況が違う様ですが…。 さて、20年前の日記へ 2000年8月2日 音楽が好きだ。 今はそれだけでいい。 目に見える全ては超えてやる。 だからそこで見てて、見守ってよ。 音楽があってもダメなんだ、 君と一緒じゃないと、 何も楽しくないって気づいたよ。

          人にはちゃんと見られている。

          欲を言えば、もっと笑っていたい。

          8月になりました、2020年も後半に突入です。 noteを書くペースが月1以下になっていますが、今更ながら気づいた事があります 「体調が良くなったらやろう」という、その日は来ません。 治療の副作用もありますが、もともと不健康のカタマリみたい生活をしていたので、調子の良い日なんて、そもそも無い事を忘れていました。 なので月の始まりの勢いに乗せて、過去の日記を読み返してみましょう。 2000年8月1日 はじめてみた気がする、流れ星なんて きっとはじめてみた。 託す願いもなけ

          欲を言えば、もっと笑っていたい。

          街を彩る笑い声。

          コロナの自粛もだいぶ収まって、県を跨ぐ移動も緩和されました。 別のマガジンを立ち上げてみましたが、私は体調の事も考えて、しばらく自粛を続けるつもりです。とはいえ、外出している人たちはなんとも羨ましい。 梅雨時期に書いた、20年前の日記です。 2000年6月8日 似合わない明るい髪の色が 恥ずかしくても会いたい 夕立の降りそうな街を歩いてた 待ちに待った日が来ると思うと 眠れずに誰かに手紙を書いてみる 出せない位の内容で、笑っちゃうよ 梅雨はもう目の前って言ってるけど どう

          街を彩る笑い声。

          ゴールと道程は足元から。

          お昼から雨が降り出して、なんだかやる気の出ない日曜日。 そんなの今に始まった事ではないけれど、今日は特に。 する事としてる事が一致してなくて、更新も夜になってしまった。 個人的には「休日は特別な事をしないとダメ」とか「素敵な時間を過ごさないと休日じゃない」という幻想は持ってないので、ゴロゴロしてても構わないんですけど、段取りが悪かったなとちょっと反省。 それでは20年前の日記へ 2000年5月18日 今日が何日なのか 今日が何曜日なのか 今が何時なのか  全て分からなく

          ゴールと道程は足元から。

          幾つになっても好きな事。

          ご無沙汰しております。 2ヶ月ぶりの更新になってしまってすみません。外出自粛の期間なんだから、普通逆だと思うのですが(笑)ともあれ経済活動が戻って来そうなので良かったです。 黙っている間に、40歳になりました。 毎年、家の近所の飲み屋さんで自主企画パーティーをしていますが、今年はそれも出来ず、色んな事に実感が湧きません。 いや、最近ニュースなどで年齢が出ると、30代に対して敏感になりました。「この人まだ30代だったんだ!」という…この感覚はなんだろう? 40歳になった事に

          幾つになっても好きな事。

          ありがとう、忘れないよ。

          こんにちは、今日も天気が良くて気持ちがいいですね。 緊急事態宣言が発令されて、さぞパニックになるのか?と思いきや… 街中の人出は全然変わってない。 休業を決めた店舗、入店制限や手の消毒を徹底している店舗。歩いている人の方がよっぱど危機感が薄く感じる。まぁ私もそうなのかも?。 明日から入院なので、今日のうちに出来る事を済ませておきますね。 それでは、20年前の日記を… 2000年3月9日(木) thank you ありがとう。 ここには喜びが沢山あって 知らない間に笑い方

          ありがとう、忘れないよ。

          光の存在を忘れませんように。

          天気のいい土曜日、お出かけしたい気持ちは分かりますが、今日も自宅で。個人的に休日のこの時間は、ゆっくりパコソンを触る時間なので、通常運転です。 それにしても、春の陽気は気持ち良さそう。 今回のコロナウイルスのおかげと言ったら変ですけど、部屋の窓を開ける習慣がつきました、窓から入る風も気持ちいい。虫が苦手なのでもう少ししたら閉めます。夏場は絶対に開けません。 それでは、20年前の日記へ 2000年4月5日 うすれる意識の境目で 目にした幻は  月に向かって吠える犬と 君の

          光の存在を忘れませんように。

          ひと気の無い夜は当たり前に怖い。

          大変ご無沙汰しておりました。 丸っと2ヶ月、経ってみると時間は早いものですね。 私事ですが、ちょっと病院にかかっておりまして あれこれ検査をして、これから治療を始めていきます 今年で40歳になるので、そんな事も増えていくんだろうと思っていますが… でも本当は、20年前の自分の日記が思った以上にヒドイ! というのが理由です… なのでマイペースに「これ良いな」と思った言葉を見つける作業に切り替えました。 何の教訓にもなりませんが、この黒歴史満載のポエミーな日記を、どうか弔わ

          ひと気の無い夜は当たり前に怖い。

          だけど会話はしたい時だけでいい。

          ポカポカと暖かい日が続くなか、 立春や節分が過ぎ、季節感の分からない冬を過ごしております。 思わず春物の上着を出してしまいましたが、週末は関東も寒くなるそうで 使うのはまだまだ先のようです さっそくですが、20年前の日記。 2000年2月3日 愛しいものを守りながら どうこの山を越えよう 多々ある局面に どうやって立ち向かおう 片腕に君を抱き(だき) 片手に夢を抱き(いだき) その手にどんな武器を選び おさめるのだろう 2000年2月4日 寒さが思考を鈍らせる 刺さるよ

          だけど会話はしたい時だけでいい。

          歌の記憶。

          久しぶりの週末休みを謳歌しつつ、 帰宅してから軽く発熱するという、 いつも通りの体の弱さで呆れます。 それに、20年前の自分から得る教訓も 日毎にガラリと変わるような、 そんなモノでも無い気がして…。 2月最初の投稿なのに ダイジェスト感たっぷりでお届けします 20年前、二十歳の日記。 2000年2月1日 待って居たって来やしない幸せ 夢見たった叶いやしない望み 叫んだって届きゃしない想い 全ての希望を満たすのには あとどのくらいの距離を歩けばいい…? 2000年2月

          1日を振り返るなら、明日の予定を書こう。

          早いもので、1月も今日で終わり。 本当にあっという間で、いろんな物事を後回しにしている自分が嫌になります。 更新を放置していた20年前のポエムな日記を晒しておきましょう。 2000年1月27日 それはまるで宝石のように キラキラと光を放ち それままるでドラッグのように 頭をおかしくしていった それはまるで子供のように 無邪気に振舞いながら それはまるで悪魔のように 心に住みついて離れようとしない 溺れていく姿を 誰にも見られないように 流れ出したメロディーを誰にも気づかれな

          1日を振り返るなら、明日の予定を書こう。