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会話というのは双方の連携プレーがなきゃ楽しくならないんだよな

最近「話をしていてしんどい」出来事がありましてですね。

わたしはその人のことを知りたいな〜、自分といる時間が楽しいものであってほしいな〜、と思っていろんな質問を投げてみたり、自分の話をしてみたり、リアクションを取ったりしてみたわけですが、まぁ何を打っても響いている感じがしない。

質問に対して一言しか返してくれなかったり、「わかんない」と言われたり、リアクション薄かったり、何ならリアクションもなくスルーされたり。

こりゃ、わたし自身に興味を持っていないのか、嫌われてるんか、と思うほど心が折れそうなのですが、別にそういう感じでもない。実際に、「もう会うのやめましょうか?」とストレートに聞いてみても、「それは嫌です」みたいな展開になるので、ド、ドユコトー? となっています。

この人は本当に自分と話していて楽しんだろうか。わたしはちょっと苦しいんだが? なんて想いがぐるぐると頭を巡ります。

んで。これがその人自身のパーソナリティであり、ありのままの自分でのびのびと生きているならそれを尊重したい気持ちはあるんだけど、それと同時に「わたしも尊重されたいぜ」という想いも芽生えてきていたりします。

というのも、わたしが人と会話をするとき、ちゃんと話を聞くことを大事にしているからです。

そして、奇跡的なのかもしれないけど、これまで関わってきた人たちは、ちゃんとわたしの話に耳を傾けてくれる人たちだった。

「楽しかったんだね」「それは悲しいね」と感情に寄り添ってくれたり、「綺麗な景色だね」と言ったら「本当だー!」と一緒に喜びを分かち合ってくれたり、「それからどうなったの?」「もっと聞きたい!」と前のめりになってくれたり。

それが当たり前で、自分自身も人といる時間を精一杯楽しみたいと思うから、やっている取り組みがたくさんあったと思います。

もともとコミュニケーションを取るのがあまりうまくなかったからこそ、相槌の研究をしたり、質問ストックを作ったり、相手をよく観察したりと、努力を重ねてきた分野でもあります。

なのに。

ここからは、わたしのワガママなのかもしれないけど、君もちょっとは協力してくれないかい???? みたいな気持ちになるわけですよ。

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