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世界は変わらなくても自分の世界は変えられる

思うんですよ。

会社内と学生時代の友だちだけが、自分の世界のすべてなんじゃないかって。

少なくとも、わたしの大学時代の友だちはみんなそんな感じだと思う、バカにしてるとかそういうんじゃなくて、たぶんこれが普通の感覚だ。

だって、わたしもずっと、学校とサークル、家の中が自分のすべてだったから。

わたしが入っていたバンドサークルは小さな社会みたいだった。

ニュースはすぐに社会の中を駆け巡るから、何かしら失態をしたらウワサになるし、ちょっとでも『ヘタ』のレッテルを貼られたらバンドに誘われなくなる。

入ったとき、ここで、仲間はずれにされたら終わるな、と思った。

自分の知らない場所で飲み会が開かれていたら不安になる。自分の知らない話題があると置いていかれたような気持ちになる。

仲間と過ごす毎日は楽しかったけれど、よくわからない焦燥感と戦っていたような気がする。

中心メンバーでいなくちゃいけない、という焦り。

それは、そこが自分の世界のすべてだったからだ。


卒業してからも、相変わらずメンバーは仲良しでよく飲み会が開かれる。

でも、今のわたしは『最近あんまり来ないね』なんて言われても、大丈夫だと思えるようになった。

そこが、自分の世界のすべてじゃなくなったからだ。

居場所は複数あったほうがいい、と言われているのは、限定的な場所にいることで、その場所に依存してしまう、そこでしか生きられなくなってしまうから。

居場所をつくれ、と言われても動けない人もいるかもしれないけど、どんな場所だっていい。ツイッターランドでもいい。サロンでもいい。シェアハウスでもいい。とにかく、居場所をつくれ。

コミュニティは変わりゆくもの。ずっと変わらないコミュニティなんてない。だから、万が一そのコミュニティが潰れてもいいくらい、たくさんの居場所を持とう。

居場所の数だけ、世界は広がり、居場所の数だけ、自分も強くなれると思うのだ。

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