成功していないからこそ、「ストーリー」がある
先日、友だちと「応援される人」の話になった。
彼女は、「私は、良い意味で何も考えていない、純粋な人だと思う」と言っていた。
要するに、戦略を考えるとか、そういうことではなく、割とありのままに生きている人、というニュアンスなのだと思う。
一方で私は、「頑張っている人」だと思っていた。
人は、頑張っている人を応援したくなる。
私はアイドルのなかでは『ももクロちゃん』が好きなのだが、何故かというといつも全力で頑張っていて、その姿を見ると涙が出そうになるからだ。
今日は、グラビアアイドルとして活躍している倉持由香さんのお話を聞いた。
彼女は、13歳でデビューしたが、なかなか売れず、家もなかったので事務所に寝袋で寝泊りをしたり、お茶汲みをしたりと10年に渡る長い下積み時代を送り、ありとあらゆる苦労や試行錯誤を経て、今の地位を確立した。
お話の最後で、「応援される人の特徴は何ですか?」という質問があったとき、彼女はこう答えた。
「ストーリーがある人です」
ハッとした。
倉持さんには、「今に見てろよ」と自分を見下した人に対するデスノートがあるくらいに悔しい思いをたくさんしてきたし、地道なTwitterでの写真投稿などで100万いいねを達成して念願の週刊誌の表紙を飾るなど、「全てが逆境」だと語る芸歴すべてがストーリーになっていた。
たしかに、私は倉持さんの古参ファンではないが、話を聞いてるだけで何故か目頭が熱くなってくる。
この、胸を打つようなストーリーに「応援したい」という気持ちが溢れ出るのかもしれない。
また『ももクロちゃん』の話に戻ってしまうが、私は彼女たちの全力で頑張っている姿に心を揺さぶられているものだとばかり思っていたが、もしかしたら刺さっているのは彼女たちが持つ「ストーリー」なのかもしれないと思った。
彼女たちにも、ワゴンで全国で家電量販店をまわりながらCDを手売りし、紅白に出ることを夢見て代々木公園で練習を重ねていた、という長い下積み時代がある。
そんな過去を含めて私は彼女たちを応援したいと思ったのかもしれない。
しかし、誰もがそんな長い下積み生活を送っているわけではないし、「ストーリー」というものは意図的に作れるものではない…と思いきや、意外とそうでもないのかもしれない、と思った。
何故なら、「応援されたい」と思っている時点で、その人はまだ成功していないからである。
そして、成功していないということは、何かしらの苦労があったり、逆境に立たされているということ。
それは、充分なストーリーになるのではないだろうか。
以前、人生デザイナーの武内さん(@take08h )に自分の経歴をすべてグラフにしてもらったことがある。
アップダウンの激しい人生である。
それはさておき、今まで私は自分の人生を「平々凡々」だと思い込んでいたけれど、こうしてグラフにしてみたら、意外とストーリーがあるな、と思った。
他の人もそうだ。誰のグラフをみても、「紆余曲折があるな」と感じるものばかり。
普段は平然として笑っている人も、迷いながら、傷つきながら、グッチャグッチャの人生を送っているのだ。
そう考えると、グッチャグッチャで良かったな、と思える。全然成功していないけど、全然成功していないからこそ、人生に厚みが出て、説得力が出て、面白いストーリーになる。
でも、面白いストーリーがあるだけでは応援されない、とも思った。
応援される人になるためには、「ここからさらにもっと面白いストーリーをつむぎそうだ」と頑張っている人。
つまりは、自分のストーリーを頑張って紡いでいる人が、応援される人なんだと思う。
だから、たとえ今は成功していなくても、頑張るたびにストーリーは生まれていくし、それを恥ずかしがらずに晒していけばいいんだと思う。
それは綺麗なストーリーじゃなくていい。
失敗だらけのストーリーでも、今から面白くしていけばいいのだ。
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