3分だって3時間だって「がんばった」事実は変わらないのに
要領が良い人は、チャチャッと何事も素早くこなしてしまいがちである。
でも、わたしは要領が良いって実はちょっと不利だなぁと思っている。
人は、人のがんばっている姿が好きだ。
わかりやすい、泥くさい努力。
長い時間、机にかじりつく姿。
たとえば、絵ひとつとっても、3分で描ける人もいれば、3時間かけて描く人もいる。
たしかに、客観的に見れば3時間かけた人は、丁寧に描いてくれたんだろうな、と思う。
「長い時間」=「丁寧」
に変換されがちだ。
でも、それじゃあ3分で描いた絵は適当なんだろうか。
人の本質的な努力なんて周りからはまったく見えない。
例えば、今や3分でかける絵は、かつては3時間かけて描いていた絵かもしれない。
だから、
「すぐにできるでしょ」
って軽んじて見るのはちょっと違うと思う。
要領がいいだけで、3分だってちゃんと頑張ってるんだよ、たぶん。
だって、がんばりって測れるもんじゃないもん。
労力がまったく皆無なんてこと、絶対にないんだから。
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