見出し画像

満足したら、死ぬんじゃない?

“「よくみんな笑って生きてられんな」と思ってましたよ。全員死ぬんだぞって。今いくら頑張ってもムダになるわけですよね。”

https://r25.jp/article/652800927805629580

先日公開された、新R25のインパルス板倉さんの記事を見てびっくりした。

わたしも、似たようなことを思っていたことがあった。

何かに挫けたとき、絶望を感じたとき、努力が報われないとき、決まって脳裏にはこんなことが浮かんだ。

「どうせ死ぬのになぁ」

なんでそう思うのかはよくわからない。

この前スピリチュアルなことに精通している人に、自分の誕生日を一桁になるまで足す数秘術をやってもらったら、

「9回生まれ変わっている魂なので、次に生まれ変わるときはもう人間じゃないですね。…だからそんな迷いのない目をしているんですね」

なんて言われてどんな目をしてるんだろうと思ったけど、なんかそういうことなのかもしれない。

とにかく、俯瞰して見ていることが多かった。ただ、それは恐ろしいことでもあった。

でも、どうせ死ぬんだぞ、と頑張らないよりも、もっと恐ろしいことがあった。

それは、満足をしてしまうことだ。

「やりきったなぁ」と思ってしまったことがある。

それは、大きなプロジェクトを終えたときだ。

自分はこれまで生きてきて、愛してくれる家族がいて、友だちがいて、認めてくれる仕事仲間がいて、自立して生きていて、大変なこともあったけど、しあわせなこともあって、あれ、なかなか良い人生じゃん。


あれ、もういいんじゃないか?


…という恐ろしい事態になり、ダメだダメだ、と首を振った。

そのときにはじめて知った。人は、満足をしたらそこで終わってしまうことに。いや、もしかしたら人というよりは、生真面目な人だけなのかもしれない。

とにかく、「やりきった!」という一種の快感と、「もういっか!」という死に向かう感覚が並列にあるのだ。

これに直面したとき、「なるほど、立ち止まったら死ぬパターンだな」と思った。

目標を立ててそこに向かって突き進み、達成したらまた目標を立てて突き進み…

一見その行為は「なんでそんなに頑張っているの?」というふうに見られるかもしれない。

でも、人によっては、それが生死に関わる問題でもある。

頑張ることが、自分の生きる意味になっているのだ。

となると、私は一生突っ走らなければいけなくなる。本音を言えば、ハワイかどっかでジュースを片手にダラダラと漫画を読んでいたい。一日中寝ていたい。でも、わたしのなかのストイックなわたしが警鐘を鳴らしてくる。

満足したら死ぬぞ!と。

これは悲しい性である。きっと、わたし以外にもいるはずである。でも、ストイックに生まれてしまった以上、そうやって生きていくしかない。つねに満足しないまま過ごすなんてなんて世知辛いんだ、と思う。

どうせ死ぬのにな、と思う。

でも、死なないために頑張らなきゃ、と思えるうちは、きっと生にしがみついていられるし、きっと何か大きなことを成し遂げられるかもしれない。

だからまだ、満足するわけにはいかないんだ!

…という謎のストイックはnoteでした。

サポートは牛乳ぷりん貯金しましゅ