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ちょっと長めの図書紹介⑲

Dog-ear(ドッグ-イア)30ヵ所──
約300ページの本で30回も端を折り曲げた。

読書のしかたはいろいろある。
〈ただ読む〉を含めて、
ノートにメモをとるひと、
本に書き込みを入れたり、線を引いたりする。
付箋を貼るひともいるだろう。
わたしもいろいろな方法を試し、
落ち着いたのが〈ドッグ-イア〉である。

付箋だと
キレイに貼りたくなったり、
作業が多かったりする(トル-ハガス-ハル)。
さらに本の「天」や
「小口」に付箋が飛び出てしまう。
その点〈ドッグ-イア〉は楽で美しいと思う。

……読書のしかたや
ドッグ-イアの話ではない。
『教室マルトリートメント』の紹介である。
新年早々【すごい本に出会った】──
内容の紹介はもう少しあとにするが、
約300ページもある本書を
一晩で読み終えたほど、
文章表現が流れるようで読みやすい。
いや流れるというより
読者を流していく(流される)感じがする。
多少難解で流れが止まりそうな部分には
図(表)解が用意され(全33ヵ所)、
理解を助けてくれる構成もありがたい。
さすが
「三年の月日を要し」た作品である(p.293)。

ドッグ-イアの話をもう少しだけ──
わたしの読書量は
だいたい年間100冊程度であるが、
ドッグ-イアがひとつも付かない本もある。
その基準は、
「おっ、なるほどーすげぇ論理」
「いやー、カッコイイ表現」
「この言葉、(自著などにも)使えるな」
という感じで折り曲げていく。
多くても1冊につき、10回程度だ。
今年2冊目の本だが、
おそらく今年
最高数のドッグ-イアになるかもしれない。
それくらい、
〈表現〉としての価値も高い本である。
(ところどころの「造語」も意義深い)

それでは、
〈内容〉としての価値を紹介していこう。
「ドッグ-イア」より
先に書くべきことであったが、
「マルトリートメント」とは、
「不適切なかかわり」(p.2)という意味である。
「『mal(マル=悪い)』
『treatment(トリートメント=扱い)』で
 マルトリートメント」(p.15)
それに「教室」を重ねた
「教室マルトリートメント」──
「違法行為の一歩手前のレベルの
『行き過ぎた指導』から、
 これまでは当たり前に行われていた指導
 だけれどもあらためて考えると
 子どもの心を傷つける要素をもつ指導」
と幅広く定義している。

「目次」を引用しながら
本書のねらいとその目的を確認していこう。

まず、
本書の目的を
「子どもたちの前で
 笑顔と穏やかな気持ちを絶やさない教師を
 増やすこと」と据え(p.5)、
序章では「適切ではない指導」が
学校を支配する問題を提起し、
前半の章においてその状況を整理している。
教室が張り詰めた雰囲気になる原因と、
それが子どもたちに与える悪影響(第1章)
教師が子どもを傷つける行為(第2章)
教室内の圧がどのように
連鎖するか(第3章)を解説している。

後半は、
教室マルトリートメントの防止(第4章)と
改善に向けた具体的な手段を提供(第5章)し、
学校を子どもたちにとっての
「安全基地」とする方法(第6章)
「教室マルトリートメント問題の
 根本的な解決のために」
「教師が『笑顔』で
『常にそこにいてくれる』という安心感」を
 提供する役割を述べている(p.247)。

巻末には
「マルトリートメントが
 脳に与える影響の研究分野で
 第一人者でもある友田明美」氏との対談
「教師の傷を癒やし、
 教室マルトリートメントを断つ」が
収録されている(pp.270-290)。
それを経て、
「教室の空気を換え」る提案と合わせて
再度、本書の意義を
「教育現場を俯瞰した上で、
 教室マルトリートメントが
 日本の教育界の構造的な問題から
 生み出されていることを指摘し、
 さらにその背景には
 教師の『不安』が潜在することを
 理解するための基本的枠組み」である
とまとめている(p.292)。

そろそろ、
ドッグ-イアをした個所について
ひとつひとつ紹介していきたいが──
さすがに読者は読みたくないだろし、
わたしもここに書き記すのもしんどい(笑)。
おそらく、
子どもとかかわるすべてのひとは
共通してドッグ-イアが多くなるだろうし、
共通した問題認識を感じると思う。

「チャイルド・
 マルトリートメント」(世界保健機構)
という言葉(p.15)からも
この問題が学校教育や
社会教育などの枠に捕らわれない、
子育て全般にもかかわることであり、
改めてマルトリートメントと整理されると
自分にも思い当たる節が出てくると思う。
マルトリートメントは、
「教育関係者(教師・保育士・指導者等、
 学校・幼稚園・保育所・子ども園等で
 子どもの教育に携わる関係者)こそ、
 常に気を付けておくべく概念」(p.20)
と整理されているが、
じっさいにはその「関係者」に留まらず、
「気を付けておくべき」「関係者」
その領域は広く展開されているし、
著者も意識しているだろうと考える。
特別支援学校の教員である著者だが、
その立場やその領域に捕らわれず、
子どもとかかわる
すべてのおとな(人間)への
メッセージであり、
マルトリートメントへの言及でもある。

わたしは指導者ではないが、
教育現場で働いている事務職員であり、
子どもとかかわることや接点も多く
言葉や意見を交わすことも多い──
そのたびに
マルトリートメントを意識し、
教室ならぬ事務室マルトリートメントを
考え直さねばならないと感じた──。
それらひとつひとつが
ドッグ-イア30ヵ所であり、
「ハッ」とさせられた個所ともいえる。
これからの読者もさまざまな視点で
ドッグ-イアを折り重ねていくことが
子どもとのかかわりを
見つめ直すきっかけになるだろうと考える。

もうひとつ感じたこと、
それはマルトリートメントのベクトルである。
教師から子どもへのマルトリートメントが
中心という構成ではあるが、
ときに教師から教師への
マルトリートメントにも触れられていた。
それは、応用すれば
事務職員から教師へのマルトリートメント
それにもなりうると考えた。
この視点はあえて詳細を述べないが、
一考の価値もありそうだと思った。
もちろん逆(教師から事務職員)もある。

最後に、
もう一度〈表現〉としての価値も加えて
紹介を終わりにしたい。

先行研究の検討と
その理論を自説への流し込みが丁寧である。
数多くの参考文献があげられ、
実践に客観性も担保されている──
学術論文といえばそうであるが、
それ以上に評価したいことは
一般書としての域を保っていることだろう。
精緻に整理された先行研究や先行実践を経て、
自説にその価値を適用させているが、
その論理的組み立てが難しくなく
〈わかりやす過ぎ、極まりない〉のである。
しかし、その落としどころは〈深い〉のだ。
「むずかしいことをやさしく、
 やさしいことをふかく」(井上ひさし)
 まさにこのことであると感じた。

マルトリートメントの怖いところに
「馴化」があげられるとあった(p.100)。
馴化とは、
「受け身的に『飼い馴らされていく』
 というイメージ」であり、
「無自覚のうちに、
 その状況を子どもたちが受け入れてしま」う
そんな状況に対する危険が言及されていた。
また、
「『子どもを理解する』という言葉を使」い、
「知らず知らずのうちに大人側が
 自分の見方を過信してしまい、
 その基準に子どもの姿を当ては」め、
「その基準に合わせて相手が変わること
 期待し過ぎる傾向」(p.156)
=「プロクルステスのベッド」論にも
警鐘を鳴らしている。

怖い怖い……
もう本書を100回くらい繰り返し読み、
身体に染み込ませることが最善だろう。
「Don’t think. FEEL!」(ブルース・リー)

編集担当・河合麻衣さま、
ご恵贈ありがとうございます。

#マルトリートメント
#教室マルトリートメント
#心理的虐待
#ネグレクト
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https://www.toyokan.co.jp/products/4262?_pos=1&_sid=f772eafac&_ss=r

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