見出し画像

私たちの時代の終焉

ああ、私たちの時代は終わったんだ。

そう自然と笑いが漏れてしまった。
私は別に作曲家でもヴォーカリストでもない、ただのJ-POP好きの人間だ。それでも打ちひしがれるには十分なインパクトだった。

YOASOBIの「夜に駆ける」英語詞版「Into The Night」の話。


 私はJ-POPというくくりを知らないころBeing系音楽を聴いて育ち、小室哲哉プロデュースで青春を過ごした、宇多田ヒカルと同世代の人間だ。これは小室哲哉のその後のゴタゴタを知っても、青春の輝きが濁ることはない。
 
 小室哲哉のインタビューで、しばしば「宇多田ヒカルが出てきたときに自分の時代は終わったと思った」というフレーズがみられる。おそらく本当のことなのだろう。その時代を生きた人間として、私にもその実感はある。
 ただ、先ほどプロフィールで説明した通り、私は宇多田ヒカルと同世代だ。(私は宇多田ヒカルと同じ学年にあたるのだが、ニューヨーク育ちの彼女と同じ学年という表現は違和感があるので、同世代としておく)自分たちの時代が来たとまではいわないものの、この流行の変遷には違和感を感じずに乗っていたし、当然のように受け入れていた。
 
 のちにHIPHOPブームが来たり、韓流ブームが来たりしているけれど、基本的に自分の好みと合致するかしないかの問題であって、無理に波に乗ろうとか、波に抗いたいと思ったことはなかった。
 
 それは結婚しても出産をしても同じで、「最近の音楽はわからない」というのはあくまで「選択していない(Eテレの音楽が家庭を占拠しているだけ)」という認識だった。TikTokはDLしていないし、投げ銭や課金型の娯楽は正直理解できないけれど、在宅勤務でCATVをBGMにしたり、息子がいない休みにヒトカラに行くようになったりして、カラオケランキングの曲を歌うようになり「選択さえすれば時代の波にいつでも乗れる」そう思っていた。 
 
 けれどYOASOBIの英語版を聴いて衝撃が走った。その衝撃を言語化するのは難しい。まず空耳に驚き、訳の忠実度と響きを両立させたことに驚き、それを日本語版と同じ人間が歌っていることに驚き。日本語曲を英語詞に、英語詞を日本語にする試みはずっとずっと昔から行われていたが、歌の持つ世界を崩さずに世界へ伝える方法があったとは。たぶん、私たちの世代が想像すらできないことをやってのけたのだと直感した。おそらくDA PAMPのUSAが原詞の韻を踏みつつ新たな曲に消化したことが頭にあったのだと思う。言語が変わり文化域が変わり、その変化に合わせた曲に仕上げていったDA PAMP ISSAは42歳。ほぼ同世代。YOASOBIの2人は20代。SNSの時代に生きて世界が同時につながる時代の解釈とはどちらが良いという話ではなく、本質的に違う価値観なのだろう。それが冒頭の「私たちの時代は終わったんだ」に繋がる。
 
 
 人の波に流されそう でも1mmも動きたくない
企画番組で歌うTKブームの寵児ともいうべき彼女を見ながら、ふと歌詞が頭に浮かんでいた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?