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文鳥、飼いたい(無料記事)


最後に文鳥を飼ったのは結婚する前なので、20年余も経つのだと思い出した。最初に文鳥を飼ったのは小学3年の頃だった。

1匹めは小学3年の時。2年間過ごした相棒とは引っ越しで飼えなくなり、母が誰かにあげた。

2匹めは高校1年の頃。買ってきた文鳥の雛があまりに汚れていたのでお菓子の缶にお湯を入れて雛をお風呂に入れた。タオルで拭いた後、ぶるぶると身震いして水を払っていた。お風呂上がりの雛が小さい箱の中の裂(さ)いた新聞布団の中で死んでいた。お風呂に入れてはいけないと知らなかった。3匹めは2匹めへの思いを大事にそれまでの経験を踏まえて順調に飼っていた。高校から帰ったら、いつも玄関で出迎えてくれる文鳥がいなかった。玄関先まで度々顔を出す野良猫の標的になっていた。心配していたのが現実になった。猫嫌いになってしまった。母が、あまりにショックを受け落ち込んだ私を心配して、翌日ボタンインコを買ってきた。文鳥より、はるかに値段が高いその子は特別に羽も美しかった。雛特有の、幼い子どもが持つのと同じ“無条件の愛らしさ”があった。何も知らないとてつもなく愛らしいボタンインコは初対面の私をバタバタ騒がず、キョトンと見つめていた。私は“その翌日”にはどうしても受け入れる自信が無く畳間でボーと眺めていた。触(ふ)れられなかった。“その翌日”に別の鳥を買ってくる母に何とも言えないものを感じた。翌日、ボタンインコもまた、私に何の言葉も無くいなくなった。母がどこかへ持って行ってしまった。私はたぶん、一生ボタンインコを飼えない。

4匹めは大学生の頃。彼(夫)も会ったことがある。実家にたまに遊びにくる彼(夫)に私よりも懐いていた。私よりも彼(夫)の肩や手や頭を選び、私が引き離すとパタパタと彼(夫)をめがけて逃げて行った。文鳥は、いや文鳥も人を選ぶ。その子だけ、肩に乗せ少し離れた公園まで彼(夫)と私と文鳥とで散歩に出掛けた。公園に着くとハッとしたように樹に飛んで行った。家の籠(カゴ)の中では当然な”白色”が、公園の自然の中では不自然に真っ白過ぎて、無防備過ぎて心配になり、必死で手の平に戻るように呼んだ。その子は何度かの脱走後、ある日、本当にいなくなってしまった。

自分で餌を食べられない雛を買ってきて、水で軟らかくした文鳥雛用の雑穀をピストンで与える。それまで、静かにしていた雛がピストンの餌が目の前に現れた途端に様子が変わる。ピービーと鳴きながらできる限りのくちばしを開く。そこに雛の胃にたどり着くまでピストンを押し込んで餌を与える。水風船の様にパンパンに膨(ふく)らんだ胃に入った雑穀が羽がまだ疎(まば)らな首元から見える。満腹にさせられたんだと安心する。自分で餌を食べられるようになった文鳥はカゴから出してあげると手の中に収まる。私の指で首を傾(かし)げたり、丁寧に毛繕いを始め、終(しま)いには寝転んだ私のお腹の上の手の中で一緒に寝たりした。文鳥は私の相棒だった。

まだ、あの頃のペットショップの文鳥は飛んで逃げてしまわないように羽を切って売られていた。”手乗り文鳥”とタグが付いたことを知って買っていたのに、羽を切って売られていると知り、飛べない鳥をやっぱり可哀想に思った。雛から人の手で育てられた文鳥は外に逃げてしまった場合、ほぼ死んでしまうか何かに補食されてしまう。スーパーで“迷子鳥”の貼り紙を見る度に切なくなる。餌を与え共に成長した鳥の最期まで看てあげたい。文鳥を飼いたい。飼ってしまえばいい。でもまだ、飼えない。 

I o   イオ 『青空文庫』朗読してます

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