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神戸と私〜そして音楽と食文化⑤〜

ある日突然に人生が変わる!

中学3年生の夏休み、ある意味母が企んだであろう、とある高校の夏期講習。

「声楽専攻希望と書き直して!」という私に「えっ、何歌うの?」慌てる母。

確かに! みんなイタリア歌曲とかを原語で歌っている。
私、そんなの習ってないし、声楽のレッスンなんて受けたこともない!
日々、歌っていたのは合唱部の練習だけ。

あっ、そうだ!学校の音楽の授業で歌のテストがあって、教科書から歌った曲がある!
それでいいやん!と軽い気持ちで教科書を出して、「この曲で提出用紙に書いて!」と母にその曲の楽譜を見せる私。慌てて「本当に声楽でいいの?」と曲目を書く母。
その曲は・・・
♪帰れソレントへ♪
イタリアのナポリ民謡で教科書に載るくらい有名な曲。
夏休み入る直前の音楽の授業の歌のテストで歌って先生に褒められて、ちょっとだけ自信があったのです。

そして実技相談!
まずはピアノの演奏。
私の時代は声楽であってもピアノ以外の専攻は副科ピアノがあるので、ピアノも弾けないといけません。

曲はショパンの「小犬のワルツ」、私が弾きはじめると・・・

先生方が用紙を回しながら「じっちゃん?(先生のこと)」とコソコソ話してるのです。
提出用紙に師事している先生を書く欄があり、実技相談の先生方の友達だったのです。

そしてピアノの演奏が終わり歌の演奏。
皆さん暗譜で歌っておられましたが、私は「中学の音楽」と書かれた教科書をもって。
もちろんイタリア語なんて出来ないから日本語訳で!
♪麗しのソレント〜、海原遥かに〜♪と歌い始めました。

そうしたら先生方がザワザワとして、「えっ、なんかおかしいの?私?」と思いながら無事歌い終えると・・・

まず音楽科の主任の先生が「君はオペラをやるために生まれてきたようなもんだよ」と仰り、びっくり仰天の私と母!
次に後々、私の歌の師匠となる先生が「歌は誰にも習ってないの?それなら〇〇先生に相談しなさい。僕から伝えておくから」と、私が習っていたピアノの先生に相談せよとのこと。
そして、当時の音楽科は全盛期で受験者が多く夏期講習の実技相談である程度ふるいにかけていたのですが、私は先生方から是非受験しなさいと言っていただいたのです。

人間の運命なんて本当にわからないもの。
その日の朝は「こんな坂道の上にある学校、しかも女子校なんて誰が来るものか!」と言いながら坂道を上がっていたのに、帰り道は「ママ、ここの学校受けるわ!」とお調子者の私は母にそう言いながらご機嫌で坂道を下り帰路についたのでありました。

中学3年生の夏休み、私の運命を変えた日。
何か導かれての事だったと今でも思っています。

本当にある日突然の出来事でした。
そして私は音楽への道の第一歩を踏み出したのです。

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