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O先生に捧ぐ

幼稚園の時、お遊戯会で「青い鳥」をやった。
役決めは揉めに揉めた。当然人気の役はミチルと光の妖精だ。
女の子なら誰もがやりたい役だ。たしか私は光の妖精をやりたかった。
衣装も役どころもかわいいじゃん?
揉めに揉めた役決めは一旦休憩しようとなった。

その時、私は職員室に戻った先生を追いかけて、「先生、私魔女の役でいいよ?」と言った。先生に対していい子面したいというより、明らかに困っていた先生が大変そうだと思ったから。
先生はそんな私に「ありがとう」とハグしてくれた。
その後教室に戻ってトントン拍子に役が決まった気がするけどあまり覚えていない。

当時の私はよくわかっていなかったけど、当時の先生より年上になった今では、先生のあの時の気持ちはわかる。
あえて言語化しない。陳腐化してしまいそうだから。

私は4月生まれで、物覚えがよくてできる子で割と手間のかからない園児だったと思う。
ピアニカの練習をしているときに、「〇〇ちゃんはできるもんね」と次の子のところに行ったことを覚えている。
当時特に悲しいとも思わなかったが、大人になった今でも覚えているということは心になにか引っかかることがあったのだろう。

大人の今は30人を見なきゃけないなかで、できる子は放っておいてしまうのは理解できる。
だけど、そこそこできる子だった子故のさみしさはあった。

そんな幼少期だったからこそ、「ありがとう」とハグしてくれた先生ののとは忘れられない。
「できる子」な私を当たり前と思わずに、「ありがとう」と言うのは親でもしてくれなかった。

そんな私は「できる子」なプレッシャーとともにその後の人生はかなり苦難に満ちたものだったけど。
でもこの先生の思い出はずっとずっと大切にしたい。

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